
0.1秒前に光が反射して現在に投影され、0.1秒後に現在の光の反射が脳内に投影される。喩えて言うならばビデオで撮ったものを0.1秒後に再生し続けている。なので、我々が見ているのは現在ではない。
視覚野に再生されない、感官に現れない現在。実際の現在進行形では何が起こっているのか?現在進行形で感受作用を処理しているのである。なので、感覚化されては出てこない。激辛や激痛が0.1秒のスパンあり知覚化されるようなものである。では、どのように現在進行形を証明するのか?
この場合、感覚(色)と思考(名)を切り離して証明しようと試みる。つまり、私は今、感官により外界の情報を感ずるのではなく、純粋に意識内で考えているので現在時間は経っているとする。さらに、その推測を対象に推測中であるので、現在進行形であろう、とする。(私は今考えているなぁ、と考えている。)
しかし、これだと、現在推測中であると、推測しつつある、と推測しつつある、と推測しつつある、推測しつつある、と推測しつつある、と推測しつつある…とラベリングしていると無限循環に陥ってしまう。その理由は、灯明に喩えられる《認識のはたらき》がラベリングされた認識結果を間断なく認識し続けているからだ。常に、今、灯明の光は照らし続けている。この無限循環が故に現在[去りつつあるもの]は過ぎ去らないのだ。不断なる認識が過ぎ去ることはない。[認識作用]は去らない。
しかし、去りつつあるものが[認識内容]とするとどうだろうか?概念[法]は前後裁断され因果を遠離している(辞書に載った火という字)のように、なので時間が適応されない、という説、反論として概念[法]に何月何日何秒に考えた法として時間は適応される、という説がある。これらは去るだろうか?まず、火という字は[認識作用]に照らされない限り存在しないので時間は適応されず、まさに灯明に照らされたその時、にしか存在しない。また、何月何日何秒に考えた概念[法]は全てその時には(刹那前に過ぎ去って)認識されず、刹那後からはるかな未来に再び脳に記憶としてリロードされる。しかし、リロードされたその時にのみ[認識内容]は存在している。また、時間が川の水のように存在して流れているのではなく、[因果を推測する脳のシステム]により、知覚対象、概念対象のそれぞれの関係性(縁)、因果関係を分析して時間の流れを再構成しているのだ。
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