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弥陀と弥勒 その1

阿弥陀如来の信仰は、死の寸前に仏の来迎をまち、極楽浄土に往生して如来を師として仏道修行しようとするものである。アストラル空間において、直接「弥陀」に教えを受けようとするOOBE(対外離脱)一派とも言える。


この修行方法の元祖としてアサンガ(無著)が挙げられる。もっとも、アサンガの場合には阿弥陀仏でなく弥勒菩薩であった。アサンガが体外離脱して兜率天て受けた教えは、弥勒五法と呼ばれる。チベットの伝承においては「大乗荘厳経論頌」「弁中辺論頌」「法法性弁別論頌」「現観荘厳論頌」「究竟一乗宝性論頌」を兜率天において弥勒菩薩に直接教わったとされる。中国の伝承においては「瑜伽師地論」「分別瑜伽論」「大乗荘厳経論頌」「弁中辺論頌」「金剛般若波羅蜜経論頌」とされる。


さて、阿弥陀仏と弥勒仏。


この二仏にはある共通点がある。それは、その起源をミトラ神に求めることができる点。「弥陀」は無量過去仏であり「弥勒」は未来仏である。そして「弥勒菩薩」は現在進行形で修行している。


阿弥陀信仰初期にはクシャーン朝下(紀元23世紀)において仏教と異文化の交渉を挙げることができる。ゾロアスター教、とくにミトラ神信仰やギリシャ叙事詩、キリスト教のメシア信仰の影響の元に成立した。


「阿弥陀」もしくは「弥陀」と呼ばれ、「弥陀」という呼び方のほうが原型である。サンスクリット語のアムリタ(不死の霊薬)やアミターバ(無量光)、アミターユス(無量寿)という語は、後から付随したようだ。日本の大学研究者によると、「弥詑」が「阿弥陀」に先立つ原語形であり、ソグド語などの中期イラン語に特有の母音挿入によって二次的に「阿弥陀」が成立した可能性があるらしい。このような母音挿入は、中世ペルシア語辞書においても確認することができるらしい。


中国語の念仏は、なむあみだぶつ、と日本語では唱えずに「アーミートォーフォー」と唱える。とくに「ミートォー」が「ミトラ」の訛ったものということが伺える。また、アナグラムとしてmitraaを語尾から頭に持ってきた可能性もある。それだと、amitrとなり、中国語の「アーミートォー」の発音に近くなる。仏は「フォー」と発音する。