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閑話休題

しばらく爬虫類人種(ナーガ)の話題が続いたが、爬虫類人種に関してはある種の方便として読んでいただいたら幸いである。気分転換に元のような仏教記事をあげておきます。


妙法蓮華経化城瑜品第七私的解釈(壷中天)という2012年に書いた記事があるが、七年越しに見直してみると、かなりひどい誤謬が記されているので冷や汗をかいた、訂正したい。読書の皆さんにはお詫び申し上げる、ゴメンなさい(汗


追記をしたので、追記分だけ以下に記します。


大通智勝如来の禅定から10小劫後の出現した諸仏の法が化城で、深禅定そのものが仏法である、という考えが浮かんできた。言葉にした法有など、虚構であるのが般若経からの筋であろう。これだと、不立文字の禅がそもそも大珍宝を得る道だとなる。

亦以不受一切法故(一切の法を受けざるを以っての故に)」

と化城喩品68にはあるではないか?ということで以前記したこの私的解釈が「化城」「大ウソ」であることがバレてしまった。反省している。「有無の概念の有無」については言葉遊びによる虚構迷路である。そもそも、有無概念の有が因で有無概念が有るのではなく…法有そのものがそもそも虚構であった。法有は前後裁断されており、因果の法則を無視している。辞書に乗っている「焚き火」なる言語概念は炭になることはない。道元の正法眼蔵、龍樹の四句否定を参考にされたし。

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追記の追記

法華経が諸経の王であるのは、他経典をアシストしているからである。例えば化城喩品では禅をアシストし、大肯定している。諸経の父にまで成長したのが法華経である。醍醐味なのは子である諸経典をアシストし監督しているからだ。諸経、諸方便を派遣する監督、父なのだ。だから、日蓮聖人の禅天魔なる口の悪い他宗批判は、焦りによる荒っぽいミスとしか思えない。念仏無間なんて言ってしまったら、まるで我が子の虐待ではないか?よっぽど差し迫った事情があったのだろうか。

なぜ大通智勝仏が諸仏の法を説くまでに十小劫もかかるのか?法を説く機会を待っているのである。五時の教判というものがあるが、法華経を説くには時を知らねばならぬ。法華経が他経と違うのは、迫害、弾圧、法難への予言である。つまり、法華経が説かれる時は末法の世。法華経の説かれる場所は、独裁政権の権力や他国の権力、異教、外道思想により仏教の迫害、弾圧されている国で、という条件つきのお経なのである。全て方便で説くのは、弾圧する側の官憲、公安、秘密警察による検閲に引っかからないために。つまり、方便とは信仰者のみがわかる暗号なのだ。

法華経についてはまた機会を見て話したい。