空性はシューニャターと言われますが、サンスクリット語ではターが付くと語として女性形になるらしい。
空である=シューニャム(中性形の形容詞)
空であること=シューニャーター(女性形の名詞)
ちなみに、ルーパ(色形)は中性形。
「色形が空であること」は、色形が前提として、仮にせよ有るからこそ成立する。つまり、空性は前提としての色受想行識に伴われている、人妻のようなものであります。空性夫人とお呼びしましょうか…
しかし、彼女自身では作用しないのであります。「空であること」は五薀さんに伴われて、はじめて作用します。空性夫人の旦那さんは、既知の、有るとされたものたちです。旦那さん、中性形ですけどね(笑) 旦那さんごとに何種類もの空性夫人に分ける学派もあるようですが、ちょっと変な気がする。
言語学上の女性形と、空性という単語が性質上、女性のようである、という奇妙な偶然の一致の話でした。
続きはまた今度。
ところで、最近、千葉のほうで地震多いですね。大勢至菩薩の足音が聞こえてくるようです。
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