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アポーハ

数年前、コレはカレでないことによって成り立っている。と、思いつきまして、某僧侶に尋ねて見たことがありました。「ブッダの言う、コレあればカレあり、とは、コレはカレでないことによって成り立っている、てことですか?」

 

すると、それは違いますよ、12縁起のことです、との答えが帰ってきました。それから、12縁起の解釈について細々と研究して今日に至りますが・・

 

今日、ふとディグナーガとダルマキールティについて調べていまして、アポーハ説というものにぶち当たりました。ディグナーガの説ではこうです。例えば「鳥」がいる、他の外道の哲学などではイデア的普遍的な「鳥」がいてその類型として地上の様々な鳥が認識される。しかし、ディグナーガによれば、「鳥」という単語は,他者を排除することで自らの対象を表示すると言います. 単語の機能は,他者の排除にあるというのです. 「鳥」という単語は,鳥でないものを排除することで,一般的に鳥というものを概念化された形で理解させる、と言うこと。アポーハというのは,排除,という意味です.(apa脇にūha運ぶ,というのが原義です(某サイトより抜粋)。

 

つまり、お釈迦様の言う、コレあればカレあり、を、コレはカレ(他)でないものにより成り立つ、と高度なアポーハ説的な勘違いをしていたことになります。

 

「この中から鳥類でないものを選びなさい」

 

というヤツです。これにより鳥類が示されます。ちなみに、この自前のアポーハ説が、「蛇は再び」の流通版ではない方には、ちゃんと書いてあります。