
聖徳太子が新聞で取り上げられてました。
「聖徳太子」復活へ、次期指導要領「厩戸王」表記で混乱(産経新聞)
このブログの3月6日の記事と不気味なシンクロをしめしていますが…。聖徳太子による日本の仏教伝来時にも巨大地震が起きています。599年の推古地震(すいこじしん)は、『日本書紀』に現れる日本最古の被害記録が残る歴史地震。地震が発生し建造物が悉く倒壊した。四方に命じて地震の神を祭らせたという。聖徳太子の伝記によれば、太子が地震を予知して建物の補強を促し、地震後は税の免除を建言したと伝わる。聖徳太子はここでも地震を予知していますね…。
ブッダの出現と大地震の関連についての続きです。私はいわゆる「悟った人の判定法」について研究してきましたが、ついにわかった有効な判定法が、この悟った人の国土、故郷で起こる大地震です。なぜかと言えば『名色が裂け落ちる時、大地も裂け落ちる』からであります。大地は、色(形態)の最たるものですから。これなどは、法華経において言及されてます。以下、地湧出品…
仏是れを説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩あって同時に涌出せり。是の諸の菩薩は身皆金色にして、三十二相・無量の光明あり。先より尽く娑婆世界の下此の界の虚空の中に在って住せり。是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて下より発来せり。
これら、6万のガンジス川の砂の数に喩えられる地湧の菩薩たちは、地震によって震裂した大地より湧き出るとされています。6万のガンジス川と6種の震動は関係ありそうです。だいたいの聖なるものは天から来るのに、地を震裂して来るのが法華経ですから、法華経の特異さがここにあります。
前回の記事の反響として、地震が起きたら仏が命を奪うのではないか?という問いがありました。仏が娑婆世界のカルマの清算をするのか?当然、この私の中にもそのような問いがありました。しかし、地湧出品を見ていて気づいたのが、ひょっとしたら、地湧の菩薩は地震の犠牲者のことなのではないか?つまり、ブッダが原因の地震において死んだものは、地湧の菩薩となる。ブッダが原因の地震で死ぬと娑婆世界下の虚空の中に転生できる説です。この説は被災者の方には慰めになるかもしれません。
熊本地震では直接死が50人と随分とキリがよい数でした…。意図的なものを感じるのです。況んや50の眷属を将いたる者をや…
前に書いた熊本如来と千葉仙術イエスの験くらべ抗争説は、熊本で地震が起きた原因が全くわからなかったために捻くり出した仮説、戯論でしたが。熊本vs千葉の験くらべ説を正式に否定し、私はここに「ブッダは独りで大地震を起こしてしまうものだ」説を提唱したいと思います。これは、彼(ブッダ)が起こそうとして起こしているわけではなく(そもそも行為をしない)、ブッダの名色が滅しているために、彼の立っている大地の色(形態)も滅に近づき崩壊したがるのではないか、と思われます。
「後漢書」に記載のある「地震」を抜き出して羅列してみます。
46年9月:南陽郡(荊州)を中心とした地震
76年3月:山陽郡(兗州)・東平郡(兗州)で地震
89年7月:会稽山(楊州)で地震
92年6月:郡国十三で地震
93年2月:隴西郡(涼州)で地震
95年7月:趙国易陽県(冀州)で地割れ。9月:洛陽で地震
97年3月:隴西郡(涼州)で地震
100年閏4月:南郡シ帰県(荊州)で山崩れ
105年5月:右扶風擁県(司隸校尉部)で地割れ
106年5月:河東郡(司隸校尉部)で山崩れ
107年:河東郡で地面が陥没。郡国十八で地震
108年:郡国十二で地震
109年12月:郡国八で地震
110年3月:郡国九で地震。9月:益州郡で地震
111年1月:郡国十で地震
112年6月:豫章郡(楊州)で原山が崩れる
113年2月:郡国十八で地震
114年2月:日南郡(交州)で地割れ。
114年6月:河東郡で地面陥没。11月:郡国十五で地震
115年5月:洛陽新城で地割れ。11月:郡国十一で地震
116年2月:郡国十で地震。
116年7月:コウ氏(河東郡)で地割れ。11月:郡国九で地震。
117年:郡国十三で地震
118年:郡国十四で地震
119年:2月:京師と郡国四十二という広範囲にわたる地震。12月:郡国八で地震
120年:郡国二十三で地震
121年11月:郡国三十五で地震
122年7月:京師と郡国十三で地震。9月:郡国二十七で地震
123年7月:丹陽郡(楊州)で山崩れ。同年:京師と郡国三で地震
124年6月:巴郡(益州)で山崩れ。同年:京師と郡国二十三で地震
125年10月:益州で山崩れ。11月:京師と郡国十六で地震
128年1月:京師で地震。漢楊郡(涼州)で地割れ、陥没
132年4月:京師で地震。6月:洛陽で地面陥没
135年12月:京師で地震
137年4月:京師で地震
138年2月:京師から金城、隴西2郡(涼州)にかけて自身、崖崩れ
138年閏4月:京師で地震
139年3月:京師で地震
140年2月:京師で地震
143年9月以降:涼州で百八十回地震続く
144年9月:京師と太原で地震
146年5月:津波により多数溺死(海底地震)
147年4月:京師で地震、郡国六で地震、地割れ。9月:京師で地震
149年9月:京師で2回地震
150年:シトウ郡(益州)で山の崩落
151年11月:京師で地震
152年1月.11月:京師で地震
154年2月:京師で地震。6月:東海郡(徐州)で山崩れ
155年6月:巴郡.益州郡(益州)で山崩れ
156年12月:京師で地震
157年7月:河東郡で地割れ
158年7月:左ヒョウヨク雲陽県で地割れ
160年5月:漢中郡(益州)で地震
161年6月:京兆.右扶風(司隸校尉部)、涼州で地震
161年6月:太山郡博県(兗州)で崩落
162年5月:京師で地震
165年6月:コウ氏県で地割れ。9月:京師で地震
167年5月:京師と上党郡(并州)で地割れ
171年2月:地震で津波発生(場所不明)。5月河東郡で地割れ
173年:北海郡(青州)で地震。東莱.北海両郡で津波
177年7月:京師で地震
178年2月:京師?で地震。4月:京師?で地震
179年3月:京兆郡で地震
180年7月:酒泉郡表是県(涼州)で地震
191年6月:京師?で地震
193年10月:京師で地震。12月:京師で地震
194年6月:京師で地震。2日後、再び京師で地震
209年10月:荊州で地震
また、無明庵EO氏が悟られたのは、『1992年2月17日、狂気の探求の末、偶発的に大悟見性』とのことです。3年後に阪神淡路大震災が起こってます。ひょっとしたら関西または淡路の出身なのかな、と思いました。
それはそうと、無明庵のほうざんさんが2017年2月某日に遷化されたそうです。ホムペの松の間に書いてありました。このブログのデザイン変更したいと思ったのも其れが原因かもしれない(死んだこと知らなかったけど)。思えば竹の間で禅や魔術の質問に答えてくれたことや、私のブログ「幽居にて」を紹介してくれたこともありました。この場を借りて哀悼の意を表します。
RIP ほうざん
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ohba (木曜日, 23 3月 2017 14:14)
ホームページを見てきました。
そうだったのですか。この世を去られたと知って驚きました。
EBIさんは何かと縁があったのですね。
・・・・・・
前回の無意識世界に関連しまして
ブッダが現れると、真の求道者が現れる場合がどの時代に於いても、あるのでは無いでしょうか。(もしかしたら一人しか現れないこともあるかも知れません)
それまでは、一見しますと道を求めるようなことをしていなかったのに、まるで触発されたかのように確固たる何かを秘めて歩みだされる様子を思いました。あるいは、それまで別の教えを奉じていたのに、固執せずにあっさりと求めるようになったなどです。
実際の地震との関係説ですが、、考える程にやっぱり分かりません!
第四種から、ブッダでなくても地震が起こる(菩薩はブッダではないので)
一神教の徒で地震が起こった人がいる。
でも、釈尊が入滅した際に大地震が起こった話がある。(死者の話は不明)
釈尊の成道と大地震の関連話は聞かない。(なので無意識世界を意識する)
ところで、犠牲者が菩薩になる可能性ですが、法華経の主張からしますと違うと思われます。
そういいましても法華経の主張と申します処は、デリケートな話なので意見だけですみません。
(間違っていたら怖い事です。)
EBIさんのおっしゃる通りに、良い世界に行くことが出来る説が真なら、せめてもの救いですね。
ホームページがより黒白調になったので、これはシンクロなのかなと思いました。
ちょっと前に、白黒はお葬式と言うよりも原始を表現していると聞きました。
EBI (日曜日, 26 3月 2017 09:35)
犠牲者が地湧菩薩になる説ですが、私の希望的観測なのでまだ何とも言えません。
『大智度論』巻八によれば、
『今動大地, 欲令衆生知仏神力無量, 能令外物皆動, 信浄心喜, 皆得離苦』
と、仏の起こす地震には、衆生を解脱(離苦)させる力があるとします。犠牲者は離苦したのでしょうか⁈
しかし、このような力は実際にあるようなので、それによる犠牲者も6万のガンジス河の砂の数ほどもあるでしょう。
被災者の心への薬として、方便としての犠牲者地湧菩薩説もアリと思われた。
外道の師も起こせる、ともあります。確かにキリストが十字架上で死んだ時の地震は有名です。また、仏法の師マルパに入門する前のミラレパもボン教の呪術を用いて地震を起こし、家族の仇である親戚一族を皆殺しにしています。
菩薩が兜率天から母の胎に入ったり、産まれたりした時。たしかに菩薩は未だ如来ではありません。おそらく、力のセーブが効かないんじゃないかと思います(311など死者の多すぎる地震)、311で出生した菩薩についてはブログの続きで書きたいと思います。
熊本地震は311と同規模の地震が2回起こった割には死者が少ないと思います。キリ番ですし…
8種類の地震の説明は、中村元訳の『ブッダ最後の旅』に乗ってます。
アーナンダがブッタに大地震の原因を尋ねたところ、ブッタは以下のように説明した。
≪・・・・アーナンダよ、大きな地震が現れるためには、八つの原因・八つの条件がある。その八つとは何か?
アーナンダよ、この大地は水の上に安立し、水は風の上に案立し、風は虚空の上に存する。だから、まことに大きな風が吹く時、大きな風が吹いて水を動揺させる時、動かされた水は地を動揺させる。これが大きな地震が起こるための第一の原因・第一の条件である。
さらにまた、アーナンダよ、神通力があり、他人の心を支配する力のある修行者、または、バラモンがいて、あるいは、大いなる神通力・大いなる威力のある神霊がいて、地の想いを僅かに修し、水の想いを限りなく多く修したとしよう。その人はこの大地を動揺させ、激しく震動させる。これが大きな地震が起こるための第二の原因・第二の条件なのである。
さらにまた、アーナンダよ、ボーディサッタ(さとりを開く前のブッタ)がトゥシタ(都卒天)の身体から没して、念じ、よく気をつけて、母胎に入る時、その時この大地は動揺し、激しく震動する。これが大きな地震が起こるための第三の原因・第三の条件なのである。
さらにまた、アーナンダよ、ボーディサッタが念じ、よく気をつけて、母胎から外に出る時、この大地は動揺し、激しく震動する。これが大きな地震が起こるための第四の原因・第四の条件なのである。
さらにまた、アーナンダよ、修行を完成した人(如来、ブッタ)が無上の正しい完全な悟りを悟る時、この大地は動揺し、激しく震動する。これが大きな地震が起こるための第五の原因・第五の条件なのである。
さらにまた、アーナンダよ、修行を完成した人(如来、ブッタ)が無上の法輪を回転する時(説法をなす時)、この大地は動揺し、激しく震動する。これが大きな地震が起こるための第六の原因・第六の条件なのである。
さらにまた、アーナンダよ、修行を完成した人(如来、ブッタ)が念じ、よく気をつけていて、寿命の素因ょ捨て去った時、この大地は動揺し、激しく震動する。これが大きな地震が起こるための第七の原因・第七の条件なのである。
さらにまた、アーナンダよ、修行を完成した人(如来、ブッタ)が、煩悩の残余のないニルヴァーナの境地において完全なニルヴァーナに入る時、この大地は動揺し、激しく震動する。これが大きな地震が起こるための第八の原因・第八の条件なのである。・・・・≫
【参考文献】
『ブッタ最後の旅』 中村元訳〔岩波書店〕 P73~P75
OHBA (日曜日, 26 3月 2017 10:48)
>仏の起こす地震には、衆生を解脱(離苦)させる力があるとします。犠牲者は離苦したのでしょうか⁈
犠牲者ではなく衆生とあります。仏典は基本的に生きている人のことしか書いていないと思います。釈尊が成道した時や初転法輪の時に地震が起こった記録が言われていませんので「仏の起こす地震≒実際の地震」となりませんでしょうか。無意識界では必ず振動するものかは分かりません。
釈尊が成道したのを知らなくても、釈尊のもとへやってきた方の人数は数えられない程です。人によっては、偶然釈尊を見かけてイチャモンをつけて暴言を吐いたら真理の言葉を聞いて心が開けた方も、話しかけなければ縁は無かったように考えられます。よく話しかけられたなあと不可思議を思います。
>さらにまた、アーナンダよ、神通力があり、他人の心を支配する力のある修行者、または、バラモンがいて、あるいは、大いなる神通力・大いなる威力のある神霊がいて、地の想いを僅かに修し、水の想いを限りなく多く修したとしよう。その人はこの大地を動揺させ、激しく震動させる。これが大きな地震が起こるための第二の原因・第二の条件なのである。
外道(仏教外という意味)でも地震を生じさせるようですので、特に地涌の菩薩の解釈をしてしまうのは危険と思いました。釈尊の高弟、お弟子さんたちは、災難や危機を縁にして覚った人などはむしろ例外です(テーリーガーター、テーラガーターなどを読む限り、僅かの事例ですが命の危機から覚った人はいるみたいです。)。仏法としては、安全で健康で困っていないところから覚りの縁を生じるほうが比較的多く、真っ当なのでは無いでしょうか。
ohba (日曜日, 26 3月 2017 10:52)
その一方で、仏教外では、命の危機から悟り(仏教の覚りとは違う)を開くという事例が多いのでは無いかと考えています。
EBI (日曜日, 26 3月 2017 12:28)
〉外道(仏教外という意味)でも地震を生じさせるようですので、特に地涌の菩薩の解釈をしてしまうのは危険と思いました。
それはそうですね。地震を起こす外道というと、歴史検証含めてキリスト教くらいしか私のデータにはないのですけれども、他に地震を起こす外道を知っていたら教えてください。
〉釈尊が成道した時や初転法輪の時に地震が起こった記録が言われていませんので
これなんかは『触地印』などが発生した経緯を推測するに、やはり地震を起こしたのかな、と思われます。
降魔成道時に『触地印』により大地の神が加勢して、魔軍を打ち払った、とありますし。
般若部や華厳部の経典には、六種震動や十八相動と地震の種類の詳細な分析があり、仏が地震を起こす動機として、悪魔の群勢を脅かすため、とありますし…(触地印のこと⁈
EBI (日曜日, 26 3月 2017 12:34)
詳しくは桃山学院大学の東風という人の論文をごらんください。Google検索「仏典に見られる大地震動」で出てきます。
触地印については完全に自説ですので、東風氏の論文内には書いてありません…
OHBA (水曜日, 29 3月 2017 23:08)
>他に地震を起こす外道
歴史的に有名どころでは全くありませんが、自分に気づかせる為に生じさせていた事例で一件あります。勘違いの可能性も十分あります。
論文を見てきました。
「仏の持つこの自在法は全ての世界の「六種震動」を引き起こすことができ, 震動によって
大地が隆起したり沈下したり, 大きくなったり小さくなったり, 集合したり分散したりする。
仏が大地をこれほど激しく振動させても, 衆生に障碍や苦悩をもたらすことはない。だから,
衆生は地震に対して恐れることもない。」
御仏のみ有する神通力を示唆しているところが興味深いです。
>衆生に障碍や苦悩をもたらすことはない
実際の地震の場合では犠牲者のみならず、被災者は多くの障碍に遭遇しておられます。
つまり、まずは真っ当な生活が求められていて、覚り以前の忙しい状況を思います。
ところで、外道の作る仏教の映画を見ましたら、降魔の描写がとても強調されているのに気づきました。
映画の内容は突っ込みどころ満載な訳ですが、それよりもその描写のことが気になってきました。
スッタニパータなど原始仏典を見ていますと、いろんな機会に悪魔が釈尊のもとへやってきて
企みが失敗に終わって去っていく様子が伝えられています。
サンユッタニカーヤでも、たとえば悪魔よ去れというような一方的な様子はありません。
釈尊は丁重な言葉で語りかけておられます。(ある意味で降魔でもイメージが違います)
長阿含経を読んで居ましたら、有名な四門出遊のエピソードが載っていました。
今ではどこか怪しく思っています。
つまり、釈尊ではなく誰かが解釈を与えたように思えて仕方ありません。
中阿含経には、別の描写が載っています。
個人的に縁があって、見落としがちな記述を教えて頂きました。
「(前文略)
比丘たちよ、わたしは、そのように富裕な家に生まれ、そのように幸福であったのに、わたしは思った。愚かなる者は、自ら老いる見でありながら、かつ未だ老いを免れることを知らないのに、他人の老いたるを見ては、おのれのことはうら忘れて、厭い嫌う。考えてみると、わたしもまた老いる身である。老いる事を免れることは出来ない。それなのに、他の人の老いたるをみて厭い嫌うというのは、わたしにとって相応しいことではない。比丘たちよ、わたしはそのように考えたとき、青春のほこりはことごとく断たれてしまった。(以下略)」
原始仏典と言われてましても、外道の教えが混入されているように思う時があります。
其の中でもスッタニパータは精度が高いように感じています。
OHBA (水曜日, 29 3月 2017 23:33)
もし普通の人より卓越した人がいて、アカシックレコードでその場面を見通せるとします。
全く同じ場面を見る事が出来たとしましても、ブッダが見出す見解と全然一致しないかも知れません。
たとえばブッダは公案の答えはただ一つと言い、そうでない方々は答えは無いと言います。
かの舎利弗ブッダがアッサジのおられる方角を礼拝していた様子について
それをお聞きになられた釈尊は大いに満足なさったとありますが
ブッダでない方は真意が分からずに「昔の悪い習慣が残っている」と解釈しました。
阿羅漢の仏弟子が覚りに至った喜びの言葉において、降魔の話が全然出ていません。
ブッダが無明を打ち破った様子について、ご本人がそのように説明なさっていない可能性を考え
非ブッダの者がみたビジョンが降魔成道の描写では無いかと思っています。
間違いと言っているのでは無くて、非ブッダにはそうに見えていることが正しいということです。