
未来は発生してないので
現在はそれに対して行くことができない、また止まって、存在しない(発生していない)未来を待つこともできない。
イメージ的には尺取虫である。
現在は行くことがないから、過去は現在に対して止まってもない。しかし、過去が止まっていないなら、どのように現在が離れるとわかるのか?
また、現在は発生していない未来により、止まっているわけでないことが証明されているので、過去はどのように離れ去るのか?
とまぁ、私はこう考えていたわけだ(エビ説
これに対して龍樹は
たとえば、「行くものは行かない、行かないものもけっして行かない。行くものと行かないものと別な第三のものがどうして行こうか」(二・八)
行かないもの(止まっているもの)
が
決して行かない(絶対 止まる)
とも解釈できるが
ふたつめの"行かないもの"を(止まっていないが、決して行かない) と解釈するか…
いや、ふたつめの"行かないもの"で、行かないが行くわけでもなく、止まっているわけでもない、ととめているのか…
ふたつめの〈行かないものは決して行かない〉の行かないものは=ひとつめの行くものが行かないものであると表明されたものか…⁇
コメントをお書きください
EBI (月曜日, 20 2月 2017 22:11)
暫く考えていたが、おそらくはこうだ。
行くものの、行く行為と行く主体を切り離して、行く主体は行かない、とする。
行かないものと、行かない主体を切り離して、この主体もまた行かない、とする。
行く、或いは、行かない、どちらの行為とも切り離された主体(第3のもの)これは行為から切り離されているので、もちろん行かない。更に言えば、行為から切り離された主体など成立しない(存在しない)ので、行かないのだ。
EBI (月曜日, 20 2月 2017 22:42)
少し、問題があった。
ひとつめで、行くもの(主体)に、行かない、という二つめの行為ができている。
また、別の問題だが…
行かない、を行為とすると、行かない主体は行かない行為と切り離されたら、行かないという行為ができないので、行かないわけではないのでは?ということ。もちろん、行くわけではない。