カナンの呪いと二僧巻簾

衣は肉体である。父ノアの衣…〈認識機能、眼耳鼻舌身意、脳と感覚器官を含めた肉体〉の有無を分別(確認)するには、子であるハム〈認識機能の有の結果であるところの認識のハタラキ〉に依る。逆転現象である。

衣の有る無しを、衣の結果であるハタラキが、どう判断するのか、とりわけ衣が無く裸の時に。無いものが、無い!と判断し、その兄弟を呼ぶことができるのか?

父ノアの衣の有により、子であるハムが認識行為をして、認識結果が孫カナンである。

仏説で聖書を解釈するという一か八かの試み。ノアの衣を認識機能…6処(眼耳鼻舌身意)にしたり、ハムを行(行為)、カナンを認識(識)にした。裸の父である〈本体〉は無明にある。それは知られえない。無明とは知られえない…不可知という意味だ。

兄弟たち、セムとヤペテは、裸のノアの反対側…外界を向いて本体に認識機能を着せる。兄弟たちは名(名称)と色(形態)なのかもしれないと書いた。

さらなる根拠を求めて、調べると。

セム(shem)はヘブライ語で〈名称〉を指す言葉。そこからの由来で一般の聖書日本語訳では神により高名、名声ありと訳される。カバラ魔術では有名なシェムハメフォラシュ shem ha mephorash(שם המפורש) ヘブライ語で「正確な名前」転じて神の名前である神聖4文字などを意味する言葉。「名の集合」という意味もあるらしい。その冒頭の〈shem〉はセムと同じ語源である。

ヤペテ(Japheth)の語源。某聖書サイトから抜粋すると『ノアはヤペテのために,神が彼に「広やかな所[ヘ語,ヤフト]をお与えになるように」と願いました。このヘブライ語の表現は明らかにヤペテ(ヘ語,エフェトあるいはヤーフェト)という名前と同じ語根語から派生しており…』

英語版wikipediaには〈enlarge〉とある。'広い'という意味。「広やかな所」を〈空間〉と意訳してもいいのではないか?と、私は思ったわけです。これは空間認識=延長…つまり形態〈色〉と考えるのはこじつけだろうか?西洋哲学の〈延長〉は仏説の〈色〉にあたる専門用語で…コトバンクから抜粋すると…

延長(extention)…デカルトにおいて重視された近代哲学史における基本的な概念。感覚的自明性として物体は長さ,広さ,深さに広がっているものとみることができるが,物体のこのような空間上の〈広がり〉を延長という。

つまり、認識機能の衣をつけさせる者を、聖書ではセム〈名称〉とヤペテ〈延長〉とされ、仏説ではナーマ〈名称〉とルーパ〈形態〉とされたのではないか?

聖書により育ったデカルトやカントそしてスピノザは…それを〈思惟〉と〈延長〉とした。彼らはセム(名称)とハム(認識行為)を分けていなかったのか?

ハム(Ham)の語源は、〈熱い〉〈暑い〉〈焦げる〉…という意味らしい。焦げるの派生として黒焦げ、つまり黒いという意味もあり…つまり黒人はハムの子孫という、奴隷制度の正当化である〈ハム仮説〉が唱えられることとなる。認識行為は熱くて焦げる…?まるでのようだ。

また、この『カナンの呪い』の構造だが、禅問答の『二僧巻簾』にかなり似ている。私は、この二僧巻簾の二僧は〈名色〉つまり〈名称〉と〈形態〉の二僧と解釈している。つまり、この問答は12縁起の話しだ。

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無門関 第二十六則 二僧巻簾
清涼の大法眼、因みに僧齋前に上參す。眼、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼曰く、「一得一失。」

無門曰く、「且く道え、是れ誰か得、誰か失。若し者裏に向って一隻眼を著け得ば、便ち清涼國師敗闕の處を知らん。是の如くなりと然雖も、切に忌む得失裏に向って商量することを。」

頌に曰く、
巻起すれば明明として太空に徹す、太空すら猶お未だ吾宗に合わず。爭でか似かん空より都べて放下して、綿綿密密、風を通ぜざらんには。

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『カナンの呪い』の話では衣(6処)をセム(名称)とヤペテ(延長)に着せられた直後、ハム(認識行為)が無記となり、カナン(認識結果)が出現するわけです。認識行為(行)は認識結果(識)が出たら終わります。

一得一失とは、識を得て行を失う。

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コメント: 3
  • #1

    EBI (金曜日, 17 3月 2017 15:56)

    ハム(Ham)は黒い、つまり「見えない」ということ。

  • #2

    hebi (木曜日, 29 8月 2019 15:17)

    この時はまだ、行を行為として、虚構ととってはいなかった。

  • #3

    ibe (木曜日, 29 8月 2019 22:20)

    ハムは矛盾してるな。裸が認識機能の無とすれば。矛盾した存在だ。