行〈サンスカーラ〉

行〈サンスカーラ〉という、12縁起2番目の重要部分…意味が長い間わかりませんでした。コトバンクで調べてみますと…

想(サンジュニャーsaṃjñā)とは対象が何であるかを認知する知覚作用をいう。行(サンスカーラsaṃskāra)とは,行為を生み出す意志作用をはじめとするさまざまな心的作用をいう。識(ビジュニャーナvijñāna)とは,広く感覚・知覚・思考作用を含んだ認識作用であり,眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識の六識をいう。…


いまいち、しっかりわかりませんね。


…これと並んで,縁起を広くすべての現象の間における種々な関係の理論と解する立場も生まれた。その場合,因果を成立させる条件として,すべての現象になんらかの形で果を生む力があるとみて,これを〈行〉(サンスカーラsaṃskāra)と呼び,その働きによって作られたものを〈有為(うい)法〉(サンスクリタ・ダルマsaṃskṛta‐dharma)と名づけた(ここで〈法〉とは一定の性質をもった現象の意)。しかも,すべて有為法は同時に因となって他の現象を生む力をもっているものと考えた(すなわち〈諸行〉=〈諸有為法〉)…


さらに、わからなくなりました。


「光の輪」とかいう処の、ヨーガの解説を見てみますと…


「私たちの潜在意識には、傾向として存在している条件反射のパターンがあります。ヨーガでは、サンスカーラ(潜在意識の残存印象、仏教では「行」)といいます。


この意識は経験の蓄積によって条件付けられたすべてのパターンの保管場所で、唯識ではアーラヤ識「貯蔵庫の意識」と言っています。


さまざまな経験は残存物を残し、保存されます。この残存印象が刺激されると、習慣的パターン化した思考、知覚または行為が自動的に反応を生じさせます。そして、この反応はそれ自身の残存物を残し、再び無意識の保管場所に保存されるという循環が続きます。そして、そのパターンは普通、子供から大人になってもほとんど変わっていません。


(中略)


私たちが、幸福になっていくためには、コントロール不能な状態になっているこの自動化されている習慣的パターンを取り除いていくことが必要です。


ふむふむ…しかし、これらパターンは〈行〉でなく〈識〉ではないですか?保管場所とか阿頼耶識とか言ってますし。いまいち釈然としません。


しかし、ここである人の論文にぶちあたりました。犬も歩けば棒に当たる!


鈴木隆泰教授

山口県立大学 国際文化学部 国際文化学科 教授 (アジア文化論研究室)山口県立大学大学院 国際文化学研究科 教授、同 研究科長

ご専門は,インド哲学仏教学。特にインド大乗経典研究を専攻されているとのことです。


以下、某HPからの抜粋。

鈴木教授は〈「諸行無常」再考〉という論文の中で「諸行無常」が、サンスクリット語でどう表現されているかを紹介しています。


諸行無常

=sarvasamskara anityahh

(サルヴァサンスカーラー アニティヤーハ)


このサンスクリット語の原語を,漢字でもって,以下のように訳して「諸行無常」としています。


サルヴァ=諸々

サンスカーラ-=行

アニティヤーハ=無常


さて,このサンスカーラというサンスクリット語,これでグーグル検索かけると,どんどん出てきます。書く人によってニュアンスの差がりますが,鈴木教授は,このように説明しています。


①語源第一義的意味 「完全に作り上げること。全く作りあげること。」

②「不完全なものを完全にする」という点で「完成」という意味を持つ。

③「もともとないのに一から全くつくりあげてしまう」という点で,「虚構,潜在的形成力・形成作用」の意味を持つ。

④上記③の意味から,「その形成力によって作られたもの」ということで,「われわれが感知し経験する世界,その人にとっての世界」(サンスクリタした世界)という派生語が生まれる。 


そして,鈴木教授は,釈迦の十二支縁起の第一支・無明と第二支・サンスカーラの関係を,『スッタニパータ(経集)』のインドパーリ語原典を訳出した後,概要,次のように説明します。


縁起第一支=苦の根本原因は無明(avdya)


「無明」(avdya) =ありのままに理解することができないこと。ありのままの世界に対する無知


その無明から,縁起第二支のサンスカーラが発動される。


サンスカーラの働き

世界をありのままに理解することができない中(無明),なんとか理解しようとサンスカーラを発動させて,「その人にとっての世界」(サンスクリタsamsktaした世界)を自分勝手に虚構する。


いや〜、永年の疑問が溶けて涙が出そうです。サンスカーラ発動後のマトリックス世界。


そういえば、鈴木教授の生徒の奥田さんの論文もすばらしい…鈴木さんというと、ほうざんさんを思い出します…昔、印なおばさんが無明庵にやられた人の集うBBSにいて、「鈴木さんの奥さんでしょ!ほうざんさんの奥さんでしょ!」というメールや電話を様々な人にして、噂になっていましたが…鈴木さんと奥田さんのシンクロかもしれません。


鈴木ほうざんさんの字の「」も、空や無の意味の定義すら片っ端から崩れていく様を目撃したからかもしれません。


そもそも私は、空間的形態的無(ルーパの無)を通過して、名称的言語的意味的無(ナーマの無)を思惟していて…空を空という名で呼ばずに、無を無と呼ばずに…空や無という定義すら、定義できない…それとかこれとか指し示せず、いかなる定義すらできず、定義できないという定義すらできない…という定義すらできない…という定義すらできない…と無限後退した瞑想をしているうちに、定義すらできないと定義している、この定義する力がなかなか死滅しない、これはなんじゃらほい、ということで、この定義する力=サンスカーラ(行)と考えていたわけです。それを鈴木教授が証明してくれていた感じです。うーむ、やはり梵語でないと。

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コメント: 4
  • #1

    ohba (金曜日, 05 8月 2016 01:44)

    随分前に、そのエピソードを聞いておりましたが、まさかここに来てクローズアップされるとは思いませんでした。長い時を経ていたのですね。

  • #2

    老いたる海 (月曜日, 08 8月 2016 19:42)

    長い時…平成のことです。天皇陛下が退位のお気持ち放送のようですが
    ちょうど28年ですね…28

  • #3

    OHBA (月曜日, 08 8月 2016 22:45)

    しかも8がつ二つ並んだ日です。

  • #4

    老いたる海 (火曜日, 09 8月 2016 00:30)

    おぉ…
    H28.8.8
    ゾロ目 皇室は神道に詳しいので、揃えたのかな?