妙法蓮華経見宝塔品第11と双子

空間と時間が限りなく距離ゼロになるところまで前回は進みました。空間的、時間的にどんなに遠くにいても彼らの思念が伝わるという点を序品と長者窮子は示しています。序品では日月灯明如来は六十中劫という きわめて長い長い時間をかけて法華経を説かれたのである。その間、食事をするほどの短い時に感ぜられる。長者窮子ではあまりに時が経ち、子は父がわかりませんが、父はすぐに子だと認識します。

さて、さらにこれを端的に示しているのが見宝塔品です。ここでは、双子のような如来が出てきます。それも無量阿僧祇劫も昔の多宝如来という仏が出てきます。かの仏は法華経を説く仏あらば出てきて正しいと賛嘆するという誓願を立てているのです。そして釈尊のためにやはり出てきてくれたのであります。

しかし、かの宝塔を開け、多宝如来の姿を見るためには、無数の世界、無数の時空に散った釈尊の分身をそろえなくてはいけない、というドラゴンボールのような話になるわけです。宝塔の多宝如来は全身そろっているので、釈尊も全身ぜんぶそろってからでないと宝塔を開示できないというのが理由なようです。この釈尊の分身というのは『仏舎利』とも思われましたが、どうも法華経の記述を読むと釈尊の弟子の全ての諸仏ようであります。釈尊の法身は眉間から東方へ光線を発し、諸国から諸仏を集めますが、娑婆世界の容量が足りなく、諸仏の満員電車のようになってしまいます。そこで、分身である諸仏を受け入れるために如来の神通力により娑婆世界そのものの時空を拡張します。その時、人は全て他の世界へ移されます

どうも、このバラバラになった神的なモノを集める、というのは私の中でモチーフになっているようで…私の著作の中でも人類遺伝子中にバラバラになった神の欠片を集めてパーフェクトヒューマンを復活させると、その神の兄弟の蛇が故郷の星からやってきてお互い相見える、といったことを書きました。その時、地球に彼らが住むため、既存人類は全て他の世界へ移される….と仮説を立てました。地球が惑星エデンだったというタイムリープなSFオチでしたが。やはり、法華経の描写に改めてシンクロを感じます。

そもそも、ユダヤ聖書では、というものと塔の建造者であるニムロド神への反逆者として忌み嫌われております。ニムロドが造ったのがバベルの塔であり、ニムロドは神の使徒であるセムに体をバラバラにされ隠されます。その直後、唯一神は人類の言語を乱し、それが原因で人類は四方八方に散っていきました。仏教では西洋で忌み嫌われる宝塔と呼んで尊びます。かの宝塔は高さ五百由旬(3千5百Km)幅と奥行は二百五十由旬(1750Km)あるので、かのバベルの塔と比べても何ら遜色のない高さです。類似性があると思ってしまいました。西洋では神の意志でバラバラにされるのですが、仏は逆に分身を集めて再び1つにします。全く正反対です。

また、バラバラの宝石になった阿修羅王の毘盧舎那(マハーバリ)を集めると、ビシュヌ神に封じ込められた毘盧舎那が復活するとブログで書きました。また、人類脳六処のマトリックスシステムはかの大仏を目覚めさせないための牢獄の役割をしているとも。そもそも人類脳が猿と比較してこれほどまでに大きくなり、種としての人類が地球を病ませるほどに増えているのに、神々が人類を滅ぼさないのは、封じ込めている毘盧舎那が極めて巨大で、人類脳全てでもメモリが足りなく、過去未来に拡張したために時空間なる幻であるマトリックス世界が生じている。巨人論、巨神論、大仏論ではここまで書いたと思うのですが、法華経に見られる娑婆世界の時空の拡張とシンクロしているような気もします。

さて、釈尊の法身が娑婆世界の時空を拡張してまで釈尊の分身を集めると、宝塔が開示して多宝如来が出現します。そうして、宝塔の中で2仏並んで結跏趺坐するわけです。この箇所の描写と、見宝塔品が第11…11という数字から、私は双子というものを連想してしまったわけです。9.11の世界貿易センタービルのツインタワーは、11で表されました。つまり、11はツイン(双子)を表しているわけです。

双子仏を理解するために非常に役立つある現象があります。時空間が限りなくゼロになった時、ある現象が起きます。それが入れ替わりであります。DBのギニューの能力や、『山田くんと7人の魔女』のようなことが起こります。自分が相手に言ったことを相手の位置でなぜか聞いてる、ということです。外見や生い立ちが全く違うのに入れ替わりは起こります。これで、ツイン…双子仏の一端を理解できるかと思われます。双子ならお互いの識別はできないはず…ひとつのものならばお互いの差異、比較は虚妄なわけですから…では、お互いに認識できないとなりますが、逆にどちらかがミスをした時点でお互いとしての認識が開始される…お互いの差異、違い、比較、個としての認識。

また、入れ替わりの対象は、性別にとらわれず女人であったりもします。また、人に限らず魚であったり、鳥であったり、蛇であったりします。また、それは為そうと思えば不純物がひっつきます。この不純物というかある種の感違いについては後述しますが…入れ替わりは、無為に起こるものです。また、アストラル界では相手を対象化できません、なんというかすぐに、自分でも気づかないほど疾く、相手になっているのです。例えば、蕎麦屋の主人を霊界(アストラル界)で想起したとして、蕎麦屋の主人を対象化して眺めたり話すのではなく、すごく疾くいつのまにかに、蕎麦屋の主人になって客のオーダーに応えています。その時の蕎麦屋の主人に成りきり客に何か…おそらく「ただいまお伺いします !」と大声で叫びますが、霊体だと自分の取り憑いた人間の叫び声が非常にナニ叫んでいるかわからなくてコワいんですね、大猿が吠えているのとあまり変わらない。大声だけが耳朶を打ちます。

双子仏と全時空にバラバラに散っている集めるべき無数の分身の関係については…まだピンときませんのでシンクロを待ちます。この2つの現象が関係あるとは、私にとっても意外でした。

コメントをお書きください

コメント: 10
  • #1

    EBI (木曜日, 16 6月 2016 03:08)

    また、見宝塔品では侍者を一人連れた諸仏は宝樹の座で結跏趺坐しています。侍者がたった一人というのも双子のようです。宝樹が生命の樹に思えてしまうのは、セム系の神話をかじりすぎたからです。

  • #2

    OHBA (月曜日, 20 6月 2016 10:46)

    投稿された日の出来事でしたが、それは「天」という文字から「二人」と意味が隠れているというものでした。このことは約七年ぶりにお会いした御夫人の口から出た言葉でした。「夫」を二人は分かりやすいですが、柔軟な発想だと感心しました。

    「双子」とは違っていましたので、時間差でコメントしました。連想ゲームとしまして、私の地元に二子という地名があります。二子玉川駅は有名になりましたが、多摩の方が個人的に(シンクロニシティとして)来ている言葉です。

  • #3

    EBI (火曜日, 21 6月 2016 02:44)

    会いに行ったのですね⁈
    まだいらっしゃるんですかね、天候が異常ですので心配です。

    梅雨前線の活動が活発になっている影響で、九州北部では記録的な大雨となっている。熊本県甲佐町では、21日午前0時19分までに、国内での観測史上4位となる1時間に150ミリの猛烈な雨を観測。熊本県を中心に、土砂災害などに厳重な警戒が必要な状況となっている。(ウェザーマップ)

    熊本は謎の頻度で地震や天候異常が観測されてますが、悟った際に次元に穴でも空いたのでしょうか⁈

  • #4

    EBI (火曜日, 21 6月 2016 02:52)

    今日は足して18なんでいちおう気をつけましょう。
    2016.6.21

    個人的には7月が怪しいかな、と。

  • #5

    OHBA (火曜日, 21 6月 2016 17:49)

    それが、行くことは出来ておりません。身近な出来事です。

    その御夫人ですが、仏教に興味を持っている人ではありませんでした。精神世界をかじった訳でもなさそうです。会話もごく普通の内容でしたし、真っ当に心ある生活を送っているような人物でした。話していた中で、その方の孫の話になりました。息子夫婦が二人の子供の名前にそれぞれ「天」が含まれる文字を付けていたところから話が展開されて、「二人」とお聞きしたので非常に驚きました。

    天災について。
    成仏なさった頃は随分前でいらっしゃいます。他にも、縁のある方々で大きな変化が起こったという話もお聞きしていません。如来の周辺に起こる出来事として、歴史的には珍しいことなのか分かりませんが、「ああ、このくらいの事は起こり得るのか」と普通に思いました。そもそも私はあのような地震すら起こらないのかなと考えていました。そういえば仏典に地震が起きた描写があったのを思い出しました。

    如来が身を以って示される出来事は興味を持ちます。釈尊とアングリマーラの逸話で、村人から殺人鬼が出来るから危ないとの忠告を聞いても村に入って行かれたと聞きます。もし忠告を無視して殺されてしまったのならば話が全然違ってきますが、結果的にアングリマーラは仏弟子になられたとあります。もし潜在的に道を求めていない人だったら、釈尊は村人の忠告通りに別の場所に行っていただろうか分かりません。一般的に神格化された釈尊像でしたら、神通力で何もかも見抜けるとしておけば、話が簡単です。しかし、もし能力的に全く予測不能ならば、その時どう行動すべきかの判断材料が無い方が難しい局面です。判断が、より微妙な領域だと思われます。ささいな行動の差で不幸に見舞われることがあります。

  • #6

    EBI (火曜日, 21 6月 2016 23:26)

    ご夫人を如来の奥様と感違いしていましたε-(´∀`; )

  • #7

    EBI (火曜日, 21 6月 2016 23:33)

    天で二人というシンクロ。ヴァルナ神とミトラ神を思い浮かべました。
    梵天(ブラフマン)の概念発生以前のニ天です。梵天の概念が発生して、そこから三神となりっていきます…

  • #8

    EBI (火曜日, 21 6月 2016 23:45)

    なりってしまいました…三神となっていきます。
    ムスリム=アッラー(創造神=梵)の勢力に処刑された
    後藤健二と湯川春菜の二人は象徴的です。
    二人を合わせれば「はるな愛=大西賢治」となります。
    このアンドロギュヌスですが、はるな愛=ヴァルナ愛
    とも読めます。ミトラは弥勒となりましたが…

  • #9

    EBI (火曜日, 21 6月 2016 23:52)

    ちなみにミチャル・エリアーデはヴァルナの語源がサンスクリット語の縛る、水天になってたり、持物が羂索(縄)なので蛇神(ナーガ)との関連を指摘しております。縄=蛇といささか強引な説ではありますが…

  • #10

    OHBA (土曜日, 25 6月 2016 14:10)

    作者たる某ブッダが、何を御思いになられて、御二方の如来が揃う記述をなされたのか分かりませんが、もし、もし二人以上の正覚者たちの共著だとしたら、類まれなる経典と考えられます。この経典は経文で自画自賛をしていると揶揄された意見がありますが、もしそうなら、自画自賛では無く、いまだかつてない事です。そうでなくても、譬えの豊富さ、量が尋常ではありません。