カナンの呪いードレスⅡ

ドレス、衣を認識とすると…カントの本体論で聖書の謎が、面白く解釈できるのではないかな、と。聖書の謎とは「カナンの呪い」のことです。


創世記 / 9章 18節 ~
箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。 カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った、「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。 また言った、「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ」

ハムは、主観的あるいは人類の無意識に根差した感性的悟性的認識様式=ノアの〈衣〉を脱いだ、父の裸を見てしまいました。父とは聖書において全て〈神〉の暗喩です。つまり、ハムは〈本体〉を見てしまった。認識というヴェールを脱いだ神=本体を見てしまったハムがいます。

さて、神=本体を見てしまったハムはどうなってしまったのでしょうか?ハムは何でも鑑定団においての石坂浩二のように、なんと聖書のTV画面から編集カットされてしまいます。その代わりにハムの息子カナンが言及されます。

ここで仮説ですが、神=本体の裸を見てしまったハムは解脱してしまったのではないでしょうか?つまり、ハムは悟った、と。だから、あまり言及されないんです。

セムとヤペテのしたことが悟りへのヒントだと個人的には思います。着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい…。着物=認識です。セムとヤペテがうしろ向きに認識を着せたのが、ヒントです。なんというか、我々は普段からそんな感じです。

ハムは次男であり、セムとヤペテの真ん中で中和原理…さらに〈子〉カナンであるので、中和=子の原理を表わしそのまま〈神の子〉原理への予言になっています。〈しもべのしもべ〉は神に対するアダム(1次しもべ)に仕える天使(2次しもべ)とも言えます。この2次しもべ=しもべのしもべ、つまり天使は反逆する可能性を秘めた危ういものと考えます。それをカントの本体論で表現すると下のような感じになるます。

この創世記の話は譬え話であり…神=本体に対するハムは1次認識であり、この1次認識が真か偽か確かめるのは2次認識となるのですが、この2次認識が喩えられてカナンとされている。しかし、カントはこの本体を見たという1次認識に対する2次認識は真か偽かわかりようがないために無限後退に陥る、としています。つまり、2次認識=カナンは呪われるべきなのです。神=本体=主人に相対した1次認識=しもべ、そしてその2次認識=しもべのしもべ、というわけです。

例えば、悟った人〈大悟者〉がいて、その人は自分の認識という衣を剥いだところの〈本体〉に出会っているわけです。これは微妙なので本人しか知りえません=1次認識。しかし、それに対して「あなたは悟ったんですか?」みたいな2次認識を抱いた者が必ず訪ねてきます。しかし、これはその衣を剥いだ裸の本体を認識した1次認識さんが答えるしかない。しかし、2次認識は自分がその裸の本体を確認するまで引き下がりません。この2次認識は場合によっては不遜で危険なものになり得ます。例えば、神と接触できる1次認識師匠をアレコレ試そうとするのです。例えば、国家的な権力の官憲をけしかけて、捕縛された1次認識師匠がどう十字架から脱出するか、ないしは、天の軍勢を呼んで官憲を蹴散らすか…と期待するようなことです。本心は無邪気なのかもしれませんが、2次認識は放置され醸造されるとこじれます。カナンの孫くらいになるとこじれにこじれて、反逆するみたいのが出てきます。カナンの孫はニムロドです。ニムロドの意味は〈我々は反逆する〉です。

伝承ではハムはノアの箱船からアダムの衣を盗み出し、カナンに与えたとか。それは受け継がれ、カナンの子クシュを通して、ひ孫のニムロドに受け継がれます。ニムロドはそれにより無敵になり、バビロンの都において、バベルの塔を造り、神に反逆したとされます。アダムの衣は超越的な認識でしょうから超科学的なものかもしれません。バベルの塔はレンガとアスファルトで造られたと伝えられてます(数千年前に⁈)

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コメント: 4
  • #1

    EBI (火曜日, 03 5月 2016 04:45)

    私は、聖書の登場人物が実際の歴史上の人物ではなく、複雑な哲理を表すために創作されたくらいのスタンス。カナンが天使=人間ではない者になると、その子孫は既存サイトにあるようなレプタリアン悪魔混血になってしまう。それはそれで蛇再説だが…

    明智光秀や羽柴秀吉、石田三成と同じ、創作の過去記録はけっこう多い…

  • #2

    EBI (火曜日, 03 5月 2016 04:53)

    つまり、聖書のカナンはハムの生物学的な子ではなく…心的な諸力の因果関係。むろん、モデルとなった歴史上のハムやカナンもいるだろう、しかし違う感じかもしれない。

  • #3

    EBI (火曜日, 03 5月 2016 05:03)

    カバラ的なアレだ。

  • #4

    EBI (火曜日, 03 5月 2016 16:26)

    内田裕也が浮かんだので、裕の字つまり9番を軸にいくつか買う。