灌仏会

 地震とかないまま灌仏会を迎えました。

さればこの経に値ひたてまつる事をば、三千年に一度花さく優曇華、無量無辺刧に一度値ふなる一眼の亀にもたとへたり

と、妙法蓮華経妙荘厳王本事品第二十七の中に「一眼之亀浮木孔」とありましたが、昨日は亀の夢を見ました。何故か、亀の腹を下から見てる感じ。そういえば、昔、親がアパート二階を創価学会の集会所に貸していたなぁ、と想い出し、〈一眼の亀〉が妙に気にかかりました。とはいっても私は学会員ではありません。出身が立正大学なだけです。

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コメント: 6
  • #1

    OHBA (日曜日, 10 4月 2016 15:29)

    亀について気に留めていなかったのですが、二十七品を読んで知りました。

    サンスクリット語(を現代語訳したもの)では、「大海にある軛の穴に亀が頸を入れるようなもの」という譬え話になっていました。

    法華経のみならず、羅什三蔵の翻訳なさった経文は、学者さんが冷静にサンスクリット語を翻訳なさったものよりも、もしかしたら本質をついていて重要なのでは無いかと思うようになりました。しかし、羅什三蔵は仏の境地では無さそうでありまして、法華経を説いたのは真の仏のハズですので、それが菩薩の特性なのか分かりませんが、考えますと、まことに奇怪です。

    ネットで出てくる情報によりますと、最初に大乗仏教を興したグループ(ブッダたち?)の発祥地はインドとは別の場所の可能性があるのですね。興味深いです。

    私的には、インドホシガメが若干のシンクロです。

  • #2

    EBI (日曜日, 10 4月 2016 19:26)

    個人的には、梵行のことかと思いました。手足のない1つ目の亀(性ヨーガ的なリンガの暗喩?)かな〜と。禁欲の苦しみを喩えてたり 笑 わたしも禁欲中(環境と出会いのなさがそうさせるので、とくにわたしが望んでそうなったわけではない)なので、亀の気持ちがよくわかります。赤栴檀の穴とは…笑

  • #3

    OHBA (火曜日, 12 4月 2016 10:37)

    そして、自分が心の底から満足できる相手を見出すようなほどの稀有さ。苦行と言いますか、人は自ら禁欲を課して行ってしまう傾向があると思いますが、人間は自分を苦しめる以前に既にそのくらいの苦しさに安住しているといったところでしょうか。そうしますと、一見苦に喘いでいる人達は、実はそれほどでは無いことになってしまいます。もちろん、常識的には悲惨で、大したこと、大有りですが。
    赤栴檀の画像を検索しました。赤と言うより黒みがかっていますね・・・

  • #4

    EBI (火曜日, 12 4月 2016 12:49)

    華厳経がアレで法華経が真と判断された和尚ですが、なぜでしょうか?
    個人的には法華経のほうがわけがわからない。
    法華経のほうが無数の解釈が生まれやすいと思います。
    例えば、一眼の亀にしても、性ヨーガの比喩とも解釈できる。
    一眼、一穴の亀頭が、よい匂いのする赤栴檀の穴ですよ?
    理趣経かと思いました。そういえばsrkwブッダ氏が婆子焼庵の解釈に理趣経的解釈があるとか言っていて、理趣経が真というのも驚きなのですが…満足できる相手はうらやましいですね。

    落語「百年目」に栴檀と南縁草の話しがあります。
    以下、抜粋です。

    芸者遊びを見つかった大店の番頭に、旦那(主人)が、
    旦那という言葉の由来が、栴檀と南縁草の関係であったと
    説く。

    主人は、一軒の主を旦那という訳は、天竺(てんじく)の
    赤栴檀と南縁草(難延草なんえんそう)の関係から来たと。

    素晴らしい赤栴檀の根元に、南縁草という汚い草が生えていた。
    これを見て、この草を取り去れば、より赤栴檀が、引き立つに
    違い無いと思い、そうしたところ、一晩のうちに赤栴檀が枯れてしまった。

    調べて見ると、栴檀は南縁草を肥やしにし、
    南縁草は栴檀からの露で育っていた事が
    分かったのでした。

    栴檀が育つと、南縁草も育つ。
    持ちつ持たれつ。

    栴檀の「だん」と南縁草の「なん」を取って「だんなん」。
    そこから、「旦那」になったというのです。

    大店の主人は、番頭に、自分とお前も、栴檀と南縁草だ。
    自分も露を、お前に下している。またお前も私を養ってくれている。
    そして店では、今度はお前が栴檀で、店の者が南縁草だと。
    店の南縁草にも少し露を降ろしてやってくれと。

    一般に、旦那=檀那は、仏教から来た言葉で、
    サンスクリット語のダーナの音写と。
    (梵 dāna-pati 檀那波底の略〕
    ダーナは「与える」、「贈る」という意味で、
    「布施」とも漢訳されています。

    そこから、中国・日本では寺院、僧侶に布施・寄進する施主、
    仏教の後援者という意味で用いられています。

    ● ●

    ところで、たしかに苦しみに安住してますが。相手のパートナーを探しえるのは素晴らしいですが、さらに素晴らしいのが、お子さまの誕生ですね!ところで、ずっと考えていたのですが12縁起の行(サンスカーラ)って、諸行(現象)はすべて子(果)を産むという解釈も成り立つのでは?とか思いました。とすると、親の因は単独で果を産むのか?先ほどの南縁草と赤栴檀ではないですが、何か相手がいてはじめて子(果)ができるのでしょうか?何というか、直接的因果関係にない横の縁起と言いますか…何かサンスカーラ(諸行)…縁のある諸行どうしが交接(ミトゥナ)して子(果)を為す、みたいな。一眼の亀のお経を目にしてから何故か理趣経ノリです。

  • #5

    OHBA (火曜日, 12 4月 2016 17:38)

    顕教の経典と言われるのに毘廬遮那に言及していることや53人の善知識などです。あからさまでは無いのですが怪しいです。理趣経にもビルシャナは出て来ます。怪しいと言いましても仏が説いていないのでは?程度で、内容が間違っているかは灰色です(かの怪しい禅師や和尚は黒)。私的には、善知識なる言葉をこの経典の御蔭で知る機縁になりました。

    灌仏会の逸話からも思いますに、あまりにも現実的に喩えますと誤解されそうで危険では無いでしょうか。御仏たちの智慧はどこまで可能なのか興味のあるところです。コメント#1のようにサンスクリット語では、羅什三蔵訳の表現ではありませんので、EBIさんの解釈までは至れません(海亀は呼吸をする為に水面に顔を出すそうですが、そこでは鳥に狙われる危険があるとウミガメの生態を知りました。)。ある婦人が釈尊誕生の逸話が創作だと聞いたらショックを受けていました。個人的には非常に意味深長な表現の逸話だと好ましく思っていますので、「信じていたの?」と蔑まれますような切り口だけだったら悲しいことです。法華経は、そうした誤解されるかも知れないところに関しましてギリギリまで表現されているのだろうかと少し思いました。

    >栴檀と南縁草の話
    栴檀の画像を調べましたら、それらの文字が書かれた画像も出てきていました。絶妙な話題です。落語では有名な話だったのですか!ダーナに関して、受け取る相手の存在と、仏と衆生のように対象的な様子が描かれていて素敵です。

    相手が善知識で子がブッダの誕生といったところでしょうか。もちろん、シュッドダナ王とマーヤー夫人とシッダールタ王子の関係を言っている訳ではありません。比喩でございます。

  • #6

    EBI (木曜日, 14 4月 2016 21:52)

    熊本で地震がありました。
    4/14
    4+14=18
    いちおう1つ前の〈南海トラフ〉での予言がかすったかな?
    九州のsrkwブッダ氏は熊本でしたっけ?大地六種に震動したのか、
    はたまた魔王の攻撃か?足して18ですから、さてどう捉えればいいのか…