竪指

  ベルギーのブリュッセルが阿鼻叫喚となっております。イスラムの〈ならず者〉聖戦士がまた活動し始めました。トランプ氏には追い風となるでしょう。全世界的に怒りを喚起する流れにあるようです。死傷者の怒りの拡散、これにすごい力があります。

  さて、倶胝竪指ですが、意味性は全く違うものの、明らかに竪指しているサインがあります。これは、天を指しているわけですね。ISISやアルカイダをサーチすると、皆、必ず〈竪指〉指を立てているわけです。画像のISのムジャヒディーン(イスラム聖戦士)は刈られた生首をバックに竪指しています。禿げた頭や髭、その風貌は彼が達磨であるような錯覚を引き起こすほどです。しかし、指を刃物で斬るのもすごいですが、首を斬るとはどういうことか…彼は何を指さしているのでしょうか?

  生首、カパーラ(頭蓋)を並べるのは信長と同じ行為です。第6天魔王の信長です。《食の次元》でも書きましたが…6識のうち身識を抜かせば頭部に集まっており、まるでカパーラという器に盛り付けてあるようだ。彼の竪指する方向には、生首という生命の実を食べるアッラーがいるのでしょうか?それと、向かって右の黒い八芒星が気になりました。偶然でしょうか?八芒星は女神イシュタルのシンボルなのですが…

  生首はインドからイラン圏にかけて、特異な意味性を付与されています。ビシュヌ神に首を刈られたアムリタを飲んだ悪魔ラーフラ(日蝕の原因)、ないしはペルセウス座の掲げる悪魔メドゥーサの首(アルゴル)です。いずれにしても悪魔の首なわけです。

  ここからはあくまで推測の範疇を出ませんが、悟った者(覚者)の頭部…脳からは、ある種、霊的に微妙な物質《アムリタ》が生成されるのではないか?ひょっとしたら脳下垂体あたりからとか。頭を刈る者たちは、それが不死の甘露であることを知っていて、ブッダの首を探し求めている。イスラム圏のイラン-イラクはアスラ神群の勢力下ですし、インドから中国、日本まではデーヴァ神群のお膝元です。イスラムの神官たちは、アムリタを欲する荒ぶるアッラー(アスラ)のために無意識に首を刈り続けている…と考えると、ブッダ(大悟者)というものを知らない、中東勢力の宗教文化の不完全さにブッダ(大悟者)のいる国は救われているのかもしれません。ベルギーやフランスにブッダ(大悟者)がいる可能性はあまり無さそうです(修行方法が伝わっていない)。アスラの粗暴さにまだ救われているのかもしれません。アムリタが脳、頭のチャクラで生成されていれば、霊的存在、ないし嗅覚の鋭いものは匂いでわかるので、釈尊が悟ったときまず梵天、続いて動物が寄ってきたとか。

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コメント: 10
  • #1

    OHBA (木曜日, 24 3月 2016 01:02)

    たしかに達磨大師の姿を連想させるところもありました。

    ブッダとは目覚めるという意味だそうですが、画像を見ていたら、死者は目を閉じています。象徴的に目を開けさせないことを望んでいるようにすら思えます。(縁起物のダルマと言えば目を入れますし。)また、同じく八芒星が黒いことが気になりました。私の方は漢字です。

    八は仏を象徴としますと、芒(草のすすきという意味では無く)は何でしょうか。
    仏教では解脱を薬と表現するそうですが、草冠の下が「楽」です。しかし、芒では「亡くす」です。そして星が白(真理の象徴)の反対です。

    この世界の情勢は、いつ自分たちが巻き込まれてもおかしく無いかも知れませんが、竪指などあまりにも対極のお話ですので、-1を絶対値とすると1のように、違う立場では、何か仏道の動きが出てきているのだろうかと思いました。

    (テロが突然起こりますことに注視しまして)こちらの場合も、何の前触れも無く急に起こり得るようです。(頓悟のこと)

  • #2

    EBI (木曜日, 24 3月 2016 13:19)

    タイムリーな乙武氏の件ですが、四肢のない彼は達磨を連想させます。
    5人の女人と不倫なされたとのことですが…解脱したと思われた達磨が5人の天女にかしずかれて天にいるということでしょうか?〈菩提不満足〉
    レプリカ極楽のような…しかし、5人の天女を〈五欲〉とすると面白いです。

  • #3

    OHBA (木曜日, 24 3月 2016 14:51)

    目を開いていて、四肢があると象徴されます状態、つまり同じ時代に生きて縁があってこそ本領発揮の達磨大師であろうと思います。五欲に浴し過ぎていますと、一般的に、ダルマという縁起物置き物程度しか興味を示さなくて普通だと感じます。

    双方の性質は反対に思えました。知られていない裏の本人の様子を知れば、どちらも別の意味で意外だったと感想を漏らしそうです。

  • #4

    EBI (土曜日, 26 3月 2016 10:39)

    五欲を断つために、外出禁止令出されている夢をみましたよ。
    乙武氏も清原氏も当分は外出禁止でしょうか?
    釈迦に説法かもしれませんが、子育てにおける外出禁止令は有りや無しや?

  • #5

    OHBA (土曜日, 26 3月 2016 11:19)

    人間は煩悩を克服しようと考えますと、どうしても禁欲主義になってしまうように思います。個人的に外出禁止令は出来ていませんよ。子供をどこかに連れて行くことの頻度が一番多いです。独りでは、ネットもありますし(ひきこもり気味 笑)、外に出ても特にすることが無かったりします。たまに、お坊さんの集まりで外出しています。

  • #6

    OHBA (土曜日, 26 3月 2016 15:27)

    しかし、無意識では分からないかも知れないのですね。無意識層で外出禁止令が出ていて、本人としては自覚も不快感も無く、心情としては外出する気が起きないと言う様子。

    釈尊に関しまして。厳格な苦行をさっきまでしていた者が、他人からの施し、ましてやインドならではの、社会的に低い地位にされる女性から食の施しを受けること自体、風潮的には大変な禁忌であったと思いますし、その考えは意識に染みついていたのでは無いかと思っています。つまり、すんなりと施しを受けるのには抵抗があったんじゃないかと考えています。変な話に聞こえるかも知れませんが、むしろその方が立派です。施しを受け取った際は、気の弱い人がしがちな~断れなかった~とは似ても似つかない、むしろ正反対の様子だと思い巡らしました。

    その様子を遠くで見ていた五人の苦行者たちからしてみれば、単に不道徳行為でしかなくて、立派だと納得できるような正当な理由が全く無かったんだと思います。性差別の無い時代でしたら、そんな大した出来事には感じられません。淡々と、ボサツは偏見を持たなくて、乳粥を施されて体力を回復することが出来たんだ程度の解釈になってしまいます。

  • #7

    EBI (火曜日, 29 3月 2016 02:52)

    名と色が独立してるにせよ、セットなのは何か意味があるんですか?末那識と阿頼耶識と聞いたのですが、まだピンときません。カントの論に当てはめ、名を悟性、色を感性とか考えてました。

  • #8

    EBI (火曜日, 29 3月 2016 03:06)

    カントは現象への認識を感性(感覚)と悟性(思考)に分け、認識において悟性を限りなく排除したときに残るものが感性や直観知であるとした。物体への感性は突き詰めると形態と大きさとなる。また、感性にはフォーマットがあり、アプリオリ(先天的)にあるフォーマットが空間(3次元的な奥行き、つまり延長)と、時間への認識であるとした。アプリオリにある空間と時間への認識ですが、釈尊が空無辺処においてまず空間認識を究竟し、さらに識無辺処において時間認識を究竟したと考えております。識は三世において常住であり、たぶん時間認識とかなり関係が深いのではないか?とか。

  • #9

    OHBA (火曜日, 29 3月 2016 05:38)

    成仏なされてから、自分に続いて解脱する者達を観て、解脱には名や色だけの場合もあることが分かったのだと考えますと自然です。マナ識と阿頼耶識では、厳密には置き換えられなそうです。語源も違いますし、こちらでは、阿頼耶識が下層にあるっぽいです。個人的には、ユングの説明に縁があった様子です。
    仮に過去現在未来を自由に往き来することが可能でも、どうにもならない性質の問題を認識して解決をしようとなされたのだと見ております。ボサツは、家族との幸せな生活の魅力的よりも、絶対に何とかしたい問題に直面して、学びに出たところ禅定の師たちにお会いになられました。二人の仙人の教えで満足しなかったのですから、時間の領域では扱えない性質でありそうです。それを解決させたのはダルマ(法)だけであったことが後で認識なされたのでは無いでしょうか。世間でダルマと口にされますが、本当に触れているかは別ですし、この世界のあり方をダルマと言っているような雰囲気です。
    (私は全然できませんが)実際にアカシックレコードに没入することで、ほとんどの人間の問題は十分解決されてしまうものではないでしょうか?仏に興味がある時点で、アカシックレコードにへのアクセスでも無理な何かがあると心のそこで察知しているのではないかとそう思います。

  • #10

    EBI (水曜日, 30 3月 2016 02:10)

    〉ちまたで言われます公案は、伝統的に複雑難解に哲学みたいになってしまっていると感じています。取っている行動は想いから生じていますので、出発点の想いはシンプルだろうと思うようになりました。

    想い? 想蘊を指し示しているのかと思ってしまいました。〈シイタケ・コード〉
    空無辺処では有対想は消滅するらしいですが。〈堅指する想い〉は種々なる想もしくは有対想から出発してる?まさか…