12縁起①

   12因縁を学び始めたときに、なぜ名色が六処(感覚器官)の前にあるか?というのが謎でした。おそらく唯識学派の根拠になってるのだろうこの部分。

   まず、視覚で見るなり、音を聞くなりして、把握してから、色(形態)を記憶して名(名称)をつけるんではないの?と。ちなみに、名(名称)は聴覚と関係が深く、色(形態)は視覚と関係が深いと思う。

   例えば、髪の毛のトンガっている新入社員は、その形態により課長にトンガリという名称をつけられます。課長はまず、六処(感覚器官)で把握してないかい?という疑問が湧きます。しかし、12因縁ではまず名色があり、その後にそれを把握するための六処(感覚器官)が出てくるわけです。これに疑問があり、名(名称)と色(形態)で構成されたプラトンのイデア界のようなものがあるのかな?と。つまり、課長が感覚器官で彼を把握する前からトンガリは存在していた、と。最初、そのようなことか、と思いました。

  では、逆に名色→六処の因果の証明として、名色がないものをいかに六処でとらえるか?を考えてみる。姿形もなく名無きものを六処(感覚器官)でとらえることはできない。例えば、トンガリ君がキテレツの発明で《名無しの透明人間》になっていたら⁈…誰も六処(感覚器官)で彼を把握できないし、誰も彼を指差せない。名色が成り立ってないと、六処は成り立たない。

  では、トンガリ君が、じつは、古来からいて謎の存在とされている姿形なく名無きもの…サタンや太古の闇の精霊だったり、あるいは人類のまだ接したことのない、人類の感覚器官からズレているような、虫の複眼やコウモリの聴覚でようやく把握できるような未知の宇宙人だったら⁈どうやったら彼の存在を捉えることができるか?

  感覚器官では捉えられない、しかし、そんな存在がいたら、通常では起きない、この世界における亀裂、痕跡のようなものを残していく。ゲームにおけるバグのようなものである。例えば、子どもが頻繁にさらわれる、とか、フクロウの夢を見る人が急増とか、デジャヴュが頻繁に起きるとか、パクチー食えないはずの友人がパクチー食ってる、とかである。

   六処(感覚器官)では捉えられない、そうした存在も《行為者》である以上は《行》…《諸行》があるわけであり《識》に痕跡を残していくわけである。ガンダムのオルフェンズの阿頼耶識システム(タイムリーなため記述しておく)でもないが、阿頼耶識はその手の痕跡をサインとして表層意識に送ってくる。マレーシア航空機の失踪だが、ローマ字のマレーシア《MaleysIa》をひっくり返したらエルサレム《elsAeleM》になるようなこと、これがサインである。

   ちなみに、名色は《指差し》という行為と深く関係しており…対象の名色の把握というのは対象への見えざる指差しなわけである。無門関の倶胝竪指における倶胝和尚の一指禅だが《指を立てたというが、さて、どちらの方向へ立てたのか?》-続く。

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コメント: 21
  • #1

    EBI (日曜日, 13 3月 2016 16:00)

    いや、むしろ対象に名色あり、それを把握するために六処が働くみたいなことか。

  • #2

    OHBA (金曜日, 18 3月 2016 12:47)

    「地球ドラマチック“色”は脳で作られる! ~あなたと私は同じ色を見ているの?~」

    昔、NHKで放送された番組だそうです。アフリカ南西部にヒンバという部族があるらしく、そこの人達は色(色彩)の表現が独特で注目されたそうです。

    それによれば、微妙に色の違う緑色をハッキリと見分け(一般的には普通の緑に見える)、その微妙に違う色に色の名称が個別にあるのだそうです。しかし、青色を見せると緑色と区別がつかず、青色に相当する言葉が無いんだそうです。

    駆使する言葉によって、認識できる領域が広がりそうです。人の常としましては、言葉によって逆に正しく観れなくなってしまうものかも知れません。考えますに、指を差す行為は特定の対象をハッキリと指し示す場面に使います。日本語では「刺す」に関連させる言葉のごとく、その行為には強いメッセージ性があって、時には他人を不快にさせる無礼につながることがあります。
    想像ですが、かの和尚は日常的にも指を差すようなことをしていたのでは無いかと考えます。その和尚は何事も分析できてハッキリと断言できていたような、他人よりも深い見識を持った聡明な人だったのでは無いでしょうか。ところが、その結論として、(仏の知見を除いて)いくら推し進めても認識できない領域がある。そこが一指禅をするようになったベースと解釈します。
    ところで、堅指する想いを知らずに真似してしまいますなら、間違っているだけに収まらなくて、冒涜するような真逆の行為です。真似した人は指を切り落とされたそうなのでギョッとしますが、もしその誤りが広まってしまうことを考えましたら、それだけで済んだのかも知れません。

  • #3

    EBI (月曜日, 21 3月 2016 03:00)

    倶胝竪指なのですが、OSHOやイスラム国の指立てサインのように、単に天を指していると昔は思っていました。やはり、指指し確認かな?と思ったのは警備業を数年やった経験からです。喪黒福造のようにドーンっとやったのではとの推測は最近です。そこから西洋哲学のカントのいう物自体-本体を指し示す意識の指指しなのかな、と。フッサールのいうノエマがカントの「物自体」だとすれば、指がノエシスに相当します。フッサールは意識は常に「何かについての」意識である、「指向性」が介在していると言います。主観の志向性、〇〇についての意識、と常に対象とセットになっている。物自体からすると指向する意識とセットで独立した物自体(自性)としては存在しえないとはナーガルジュナの〈空〉の思想に似ています。例えば今の私は仏法に〈ついての〉意識です。仏法を指差してしまっている。ところで、仏というノエマを我々は認識できず、逆に仏を指差す〈私〉はヴィパサナのように〈私自体〉を指向しても〈本体、エビ自体ないし椎茸自体〉は指向しても主観的意識を超えて認識はできないようです。なので、ここに観察者と対象の実在が証明できずに竪指する指だけが浮かび上がるみたいなことを考えました。(そうすると竪指する指を竪指している)。しかし、こうしてブログで仏法をネタにするだけで指差してしまってますが、いいんかいな、とは思いますよ。やはり仏教はネタにしないほうがよろしいですか?ドラゴン和尚がこのブログの指向性を切り落としたいのか?まぁ、仏様のフリをしてプルブって何様⁈という衆生の声は聞こえますが 笑 それでも〈蛇は再び〉の執筆中のユダヤ神の攻撃よりはマシかな〜と。

  • #4

    EBI (月曜日, 21 3月 2016 03:11)

    ところでカントは意識には表象だけを見る意識と、意味性のアスペクトを持つものに分けましたが、〈名色〉は表象に似ています。となると、意味性のアスペクトは識に該当するのか、五蘊の色受想行識のほうを参考にしますと、想が表象とか訳されていて、行識が意味性のアスペクトに該当するのか、と。ところで物事をある方向性意味性から見る、そのような思考様式を壺のように捏ねて形成する、そのようにもっていく力は行なのですか?

  • #5

    EBI (月曜日, 21 3月 2016 03:23)

    あ、五蘊をみて気づきました〈色〉はあれですね…カントの言う物自体なのか物自体を六処で即受した後のものなのか…名色があり六処がある順番だと、色は感覚で即受する前だと思うのですが、それとも名色と六処は相補的なもの?順番に意味があると物自体に近い解釈なんですかね⁈ようはヒンバ族の目に触れる前の布は名色なのか?

    布だから織るから識ですとかはだじゃれですが…

  • #6

    EBI (月曜日, 21 3月 2016 11:38)

    しかし、指差し説とは別に、口に指をあてる沈黙サインなのかもしれない、とも思いました。実際尼が仏法を端的に言い得たら笠を取ろう、と言って答えられなかったのが倶胝和尚のトラウマなわけですから、沈黙サインを表すというのはありえることです。しかし、それでも私が指差し説にこだわるのは、小僧の指を詰めた後に、泣いて逃げる小僧に追いすがり〈名〉を呼ぶわけです。小僧は振り返り倶胝の竪指を見て大悟するわけですが、…小僧は指を詰められていて己が名色を指差しできない、プラス痛みで〈名〉が識薀から出てこず頭真っ白なわけです。〈名〉が剥離しているわけですよ。ひょっとしたら痛みで己が〈色〉も想起できなかった。そこに倶胝が〈名〉を呼び指し示す、そこに、指が無く〈名〉を指差せない〈私〉と、〈名〉を呼びかけ指差す倶胝との《差異》に、何か大悟へのヒントが隠されているような。。

  • #7

    蛇原〜MMK48則-さしこ(指し子 (月曜日, 21 3月 2016 12:14)

    胝之レヲ聞イテ、遂ニ刃ヲ以テソノ指ヲ断ツ。童子負痛、号哭シテ去ル。 胝復タ之ヲ召ス。童子頭ヲ廻ラス。胝卻ッテ指ヲ竪起ス。

    ひょっとしたら〈童子頭ヲ廻ラス〉は〈名〉が剥離していたため、誰を呼んでいるのだろうと頭を廻らす。そこで、倶胝が指を差し、ようやく小僧は名称が解脱していたことに気づいた。

    無門和尚は歌って、天竜、同ジク倶胝、并ビニ童子ト自己ト、一串ニ穿却セン。
    とありますが、この記述が気になります。このあいだ言われていた〈色〉=形態は阿頼耶識で天竜、倶胝、小僧、自己と串に刺すと歌われてますし、名称=末那識=剣(刃物)なのでこのシンクロというか、暗喩をもう少し練り直してみます。

  • #8

    mmk48さしこ (月曜日, 21 3月 2016 12:18)

    名称=末那識=剣=刃物で、指=串=形態=色を断つ?

  • #9

    mmk48 (月曜日, 21 3月 2016 12:20)

    名称=末那識=剣=刃物で、指=串=阿頼耶識=形態=色を断つ?

    ハッと我に返って書き過ぎに気づいた。ちゃんとブログ記事にすればよかった。

  • #10

    OHBA (火曜日, 22 3月 2016)

    あのならず者たちも竪指をしていたとは知りませんでした。

    行為自体は同じですのに、全く性質が違うのですね。

    「主観的意識を超えて認識はできない」としますと、俱胝和尚がどのような想いを持ったのか、どのようなお気持ちに至ったのかが鍵になるのでは無いでしょうか。小僧さんが悟った(気持ちが分かったくらい程度では無いかと思っています)のですから、そんな複雑な訳ではないと思います。

    ちまたで言われます公案は、伝統的に複雑難解に哲学みたいになってしまっていると感じています。取っている行動は想いから生じていますので、出発点の想いはシンプルだろうと思うようになりました。

  • #11

    OHBA (火曜日, 22 3月 2016 00:34)

    名と色は独立しているっぽいです。

  • #12

    OHBA (火曜日, 22 3月 2016 00:58)

    EBIさん、
    門の無い和尚は、やっぱり怪しげでございます。

    実にさり気なく変な方向へ向かう事になってしまいます。串は、誰もが既にそのような状態だと示されていますので、串を(新たに)差すでは意味が大きく変わってしまっています。まるで、かの有名禅師が身と心が脱け落ちると表現し、師の禅師が答えに窮した様子を彷彿するところです。師は本物だったので、その学生を認可することは無いのだけど、自信満々に言っていること自体が不可思議にも核心を突いている(と本物ゆえに分かる)妙な状況。それで禅師は自分は認可されたのだと自負して山を去った。

  • #13

    EBI (火曜日, 22 3月 2016 23:48)

    うーん、妙に確信をついてる場合、何者なんでしょうね。
    辟支仏?なまじ修行してるぶん、正ルートではないが辿りついたんでしょうか?
    例のならず者たちは、またしても活動し始めたようですね。空港勤務なのでいささか不安です。羽田空港のシステムダウンもはっきりしてませんがサイバーテロでしょうか?

  • #14

    OHBA (水曜日, 23 3月 2016 10:38)

    どうやら、心が邪ゆえに辿り着く(迷い混む)境地だそうです。厄介なことに、多くの人にとって本物なのかよく分からず、さらに仏教へ興味を持っている人を惹き付けることがありそうです。
    子供の時は、年長のお兄さんがお洒落でバイクをかっ飛ばしいるのを見ると、大人っぽく感じたりしました。子供には交通ルールを無視してヘルメットもテキトーの危険さがピンと来ません。何よりも、後輩から尊敬の眼差しで憧れられますと、本人としては自分の命が危ないとは思いもよらず、賞賛されるばかりだと容易には抜け出せなそうです。

  • #15

    EBI (木曜日, 24 3月 2016 02:46)

    無門和尚、道元とそれぞれ禅の体現者、仏とされた人を怪しいとして、華厳経までも偽教とされているところを見ると、椎茸和尚は豪奢な寺を解体というか、脱構築しているようにも思えます。〈脱構築〉→歴史の中で構築されてしまい、何々であるとされているものごとの、その土台から揺さぶりをかける。

    歴史の中で構築されてしまい、正法であるとされているものの、その土台から揺さぶりをかけている。脱構築の戦略の一つに〈転倒〉があります、問題の中の〈二項対立〉を見いだし、一般で言われている優先順位をつけ、そしてそれを逆転させる〈転倒〉という戦略があり…一般で正法と言われている無門、道元、日蓮、そして空海、つまり
    ①歴史上の祖師たち
    ②椎茸がネットから見いだした、どちらかと言えばマイナーな師
    この二項の優先順位を〈転倒〉させて、歴史上堆積した仏教の寺の土台を揺さぶっているような…

  • #16

    EBI (木曜日, 24 3月 2016 03:03)

    デリダがプラトンからデカルト、カントなどに対抗するために編み出した戦略です。

  • #17

    EBI (木曜日, 24 3月 2016 09:45)

    AIは人間より正確な記憶、複雑な思考や計算をしますが、仏法を知りえません。仏法どころか小説の面白さすら知りえないわけで…〈五欲不満足〉
    ドラゴン和尚は〈想い〉と言われましたが、仏法がグルジェフの言う高次感情を基軸にして組み立てられたのならば、思考AIは知りえないでしょう。この場合の高次感情を〈菩提心〉や〈大悲大慈〉とするならば。複雑難解な哲学では〈菩提不満足〉といったところでしょう 笑

  • #18

    EBI (木曜日, 24 3月 2016 10:56)

    何というか、〈想い〉を見るに歴史の中で構築されてしまい正法であるとされてしまった仏教マトリックスシステムを…ひょっとしたらとくに〈高野山〉を揺さぶりたいネオ=ドラゴン和尚の〈想い〉を感じます。もっとも日本仏教界にもamazonのお坊さん便なるものが黒船として来まして、システムを揺さぶっています。

    〈脱構築〉はたんなる破壊や解体ではなく、構築そのものは可能として新たな文脈に変えていってしまう、ということ。そもそもゴータマ・ブッダ(如来)というオリジンの不在ゆえに仏教や経典なるエクリチュールが生じた(書かれたもの)が堆積し徐々にオリジンとの差異が、各宗派にも差異が生じ、もはや原点にもどれぬ似ても似つかぬものになった、其れに衆生不満足、真の救世を求めてパロール(生の音声)を願った故に、ブッダの再来となる(バグワンやダイジやEO、srkwブッダ、桐山、麻原、シャクティパットグル、サイババ、ラマナマハリシ、池田)。このブッダが〈再び〉来る、再帰性が輪廻につながり、どちらかと言えば奇妙なことになりますが…法華経の方便現涅槃…法華経如来寿量品第16の文で、「衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く」。つまり、仏の死んだふりですが、この思想、再帰性を言っているのが法華経だけなのか定かではないですが(エクリチュールの法華経が、パロールの再来を約束するような…特異なエクリチュール) 再来したブッダが生きた音声を、既存エクリチュール偽仏教の信徒数以上に説き広められる時は来るのでしょうか?

  • #19

    OHBA (金曜日, 25 3月 2016 11:18)

    土台を揺さぶろうとする。EBIさんのおっしゃる通り、無自覚ながらとてもあると思います。かつて、この方々は本物に違いない。少なくとも、その延長に如来がいるのだろうと確信していましたので、そのギャップがあまりにも大きかった証かも知れません。

    その一方で、本物と信じて疑わず、元気の源にしていたり、自分の人生を賭けている方々も膨大な数なので、偽者と直言する気持ちになれません。こちらの掲示板もどなたが見ているか分からず、門の無い和尚とか遠まわしばかりでスミマセン。

    >説き広められる時
    推測ですが、釈尊在世の時は、釈尊や阿羅漢の仏弟子を供養したことで、明かな果報が起こった事が多かったのではないでしょうか。食べ物を施した訳ではありませんが、アングリマーラが釈尊と会ったときに法が誦出なされた際に、何かを垣間見たのか、仏を供養するような何かを心で為さったのか、その場ですぐに仏弟子となられ、悪を為さなくなられました。バラモン教や六師外道の教えでは起こり得ないことです。

    たとえアングリマーラと同じような事が起きても、もし、その人が仏道の心を起こさなかったら、ただ御仏が殺人鬼に殺されなかっただけの話かも知れません。生きた音声が世に広まるか、人間側にあって仏様に落ち度はなさそうです。(この最後の一文は、どこかの有名な祖師の言葉のまんまでした。笑)

  • #20

    OHBA (土曜日, 26 3月 2016 09:13)

    AIのシンクロが見事ですね。昨日、会った人は苗字に「竪」の文字が入っていました。初めて見ました。

  • #21

    EBI (火曜日, 29 3月 2016 18:29)

    マイクロソフトが開発したAIは「Tay(テイ)」と名付けられ、ツイッターに23日に登場した。ツイッターで会話を重ねるうちに差別的な発言を繰り返すようになり、24日に中止された。

    あれ、ビックリ。ニュースに出てこない時から話題にしてしまいました。意識して言い当てたわけではありませんが…tayの存在も知ったのは後から…25日です。シンクロニシティの妙!