婆子焼庵

  とある和尚に公安の解を、送ったつもりだったが、送信メールBOXにないので、驚いた。何の法の働きであろうか?メールが消えていた。こうなると、やはり外道の参禅のつもりをかき消す力が働いているのかもしれない。しかし、せっかく考えたのでここ《春秋分点庵》にて示したい。

その公案が《婆子焼庵》である。

《婆子焼庵》の考案は『五灯会元(ごとうえげん)』という南宋時代の灯史(歴史書)に書かれている。 

どういうものかと言うと…

「昔、婆子あり、一庵主を供養し二十年を経たり、常に一人の二八女子をして飯を送りて給侍せしむ。一日女子をして主を抱かしめて曰く、正に恁麼(いんも)の時如何と。主曰く枯木寒巌(こぼくかんがん)に倚(よ)りて三冬暖気無し。女子婆に挙似(こじ)す。婆曰く我れ二十年只箇の俗漢(ぞっかん)に供養せしかと。遂に遺出して庵を焼却す」

以下意訳

『ある老婆が、一人の修行僧を世話をして20年が過ぎました。いつも、ひとりの16歳の少女に食事を届けさせ仕えさせていたのですが、ある時その16になる少女に修行僧に抱きつき誘惑するように言いつけました。少女は修行僧に抱きつき「さあ、どうしますか?」とささやきました。修行僧は「枯れた木が寒い岩に立つように私の心は熱くなりません。」と言って少女の誘いを断ったといいます。少女からその報告を聞いた老婆は「私は、二十年もこんな俗物に供養してきたのか!」と怒りだし、庵を焼き払ったというのです。』

28女子とは  2×8=16  16歳ということ。

まず示したいのが、この公案は「肉欲に負けそうなシチュエーション」「性欲をもてあます」時に修行者として、どう対処するとかそういう話しではないということ。

「SAW」という映画と同じで、真犯人は《常》に目の前にいる。SAWでは常に目の前にいた真犯人に気づかずに、足を切断する。達磨(仏)に気づかずに慧可も腕を切断する。

  僧侶が20年も修行しているのに、歳をとらない常に16歳の少女は何者なのだろうか、と。以下に私の解釈。

  20年前の僧侶の修行開始時、少女はマイナス4歳になってしまう…なにかおかしい。少女は超越的で歳をとらない、《常に16歳》人の理のなかにはいない化身だろう。この少女が仏。

  僧は仏(少女)の届ける仏法という飯を食い続けていたのである。仏の抱きつきに何にも感じず、枯木寒巌(こぼくかんがん)に倚(よ)りて三冬暖気無し、なので、20年も歳を取らずに目の前にいたのに気づかず、仏から抱きついてきたのに何も了解せずアホか、こいつの家焼いちまえということになる。常に16歳なので、常不軽ならぬ常16歳菩薩とか。 

  そもそも、16歳というのは、16子…大通智勝如来が16子、釈尊が前世の暗号(コード)であろう。16という数が釈尊を暗喩しているのだ。

とすると、老婆は梵天なのだろう。衆生に阿羅漢果が実らなければ、いずれ梵天は娑婆世界という庵を大火で焼くことになるのかもしれない。

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コメント: 1
  • #1

    EBI (水曜日, 22 3月 2017 00:32)

    少女を化身と見るところまでよかった。僧侶は木や石…識のように「存在するもの」となる。僧侶=識は已に差別化された〈もの〉。少女は「存在する」という生き生きとした行の現れ。この2つは分かち難い。

    僧侶を庵=世界から追い出し、婆=少女は世界を大火で焼いてしまった。