大仏論

   日本には何故か昔から巨大なものに憧れる傾向がある。ゴジラ、怪獣、ウルトラマン、ガンダム、巨神兵、エヴァンゲリオン、進撃の巨人…枚挙のいとまがないほどである。巨大な神的もの…それは聖徳太子の時代まで遡って、大仏というものとして我々の心に根付いている。鎌倉の大仏、牛久大仏…中でも、最古の大仏として名高いのが「奈良の大仏」である。

  奈良の大仏は毘盧遮那仏、ヴァイローシャナであり、阿修羅王ヴィローシャナ、もしくは、その息子マハーバリであることは84%以上の確率でヒットする。日本人は昔から知っていたのだ、実際に毘盧遮那仏が巨大なことに。空海はそれを大日如来とした。「大」日如来である。

  毘盧遮那…はたしてそれは仏なのだろうか?私の中でそれは、エヴァンゲリオンでセカンドインパクトを起こした光の巨人のように思える。彼は何故か、別の勢力に封じられ…「受刑者」として、魔法の鎖(チェーン)で封じられている。チェーンのように封じているのは我々、人類の系統である。おそらく、太古の時代には恐竜がチェーンの役目だった。しかし、脳が小さいために、巨大なそれのエネルギーが身体の成長に向き、巨大な形に進化していった。恐竜がいっせいに滅びたのは、「それ」が目覚めかけた故の「ファーストインパクト」だったのである。そのため、より強力な「夢」を見られるように脳を改造された猿…ヒトが誕生した。

  人類が60億もの個々の人生という夢を生きることにより、「それ」は眠っている。人類はそれを夢の深淵で垣間見るが、それは人類という夢を見つつ永劫の眠りについている。クトゥルー神話は、それを描きたかったに違いない。

そは永久(とこしえ)に横たわる死者にあらねど 計り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの

  なお、私がこのことに気づき本格的に調べ始めた元旦ごろから、それに呼応するように東京にて不気味な地鳴りが聞こえてきましたので、臨場感あります。シンクロしてるのかもしれない。