《祝福》

   キリスト教用語が独特でやっかいです。例えば、《祝福》という言葉がある。あるキリスト系の人に勝手に祝福されたことがある。普通、神道とかの祝福だと《払いたまえ 清めたまえ 幸いたまえ》と神職が御幣でパッパッとやるわけですが。キリスト教でも典礼儀式とか。

   しかし、その人は祝福しときます、とかメールとかBBSでボソッと言うだけでした。 しかし、それから怪奇現象…その人が勝手に祝福してから、妙なボケ爺いが頭の斜め上の辺りでうるさいのだ。何を言っているかというと 

『ササグ〜、サトル〜、どこじゃぁぁあ!』 

と、人の名前(誰それ?)を呼んでいるだけである。あまりにも煩いので 

『ササグとかサトルとかいらない』と言うと、その爺いさんが消えそうになる。すると、祝福した当のキリスト系の人の本人の声でEBI(私)のところ祝福が消えたとかアホな台詞が聞こえた(幻聴)。ササグとかサトルとか名前を延々と呼ぶボケ爺いをよこしただけで祝福になるんかいな。

   しかし、そこで気づいたんですが、この祝福した人のキリスト教概念では、《人というナマモノ》を《祝福》として解釈しとるんかいな、と。つまり、このササグ、サトルという子供だか孫だかを気にかけている《爺いの霊》そのものが《祝福》、ないしは《聖霊》と解釈される。その霊を人に送りつけることが《祝福する》ということ⁈

   記憶を走馬灯で納豆(発酵、腐敗)のように反芻している霊は、まだ浄化されてない生前の意思をもった霊かな、と。 

   しかし、煉獄で記憶焼かれるべき爺いが、もう祝福なの?まだ記憶も残っていて発酵中、牡牛座の領域で記憶の反芻をしているような魂を《祝福》ってあんた… 

   子供2人の名前も《捧(献)ぐ》と《悟る》と宗教的ですが、私はなぜか、牛飼い座の2匹の猟犬を思い出しました。牛=反芻=記憶と考えると、それを飼っているものとは…。牛飼い座には《兄弟に全財産を奪われ全世界を放浪した男、その後に葡萄酒を発明したものの、それを飲んで酔っ払った農夫たちに撲殺される》という伝説があります。なんだかキリストっぽい伝説ですね…。