僕らはなぜ生きている?

   なんとかちゃんみたいなのは何故生きてるの?という質問をいい歳のおじさんやおばさんにされたら、あー、舐めてるんだな、とコギャルやギャル男は思うだろうか。

   他人に、何で生きてんの?みたいなこと言う面の皮の厚いアホウは、こんなお高尚な悩みは俺だけ考えている、ないしは、自分だけは生きるに値するとか思っているのか、とも思う。他人の生存圏に土足であがり、ぬけぬけとご主人さま面して上から目線で聞くのだ、このぬらりひょんが!

   何か生きとしいけるものの代表みたいな顔して。親孝行だの感謝だの、ぼくらは一生けんめい生きてるんだ、見ろ、花だ、夜明けだ、縄文土器だの…ゆるい社会的なスピリチュアル圧力。 

ふと、圧力が増した。見ると修造が… 

修:おまえみたいのが、なぜ生きてる?  
我:その問題はなぜ宇宙が成立してるのかに等しい。 
修:偉そうに答えてくれました。 
我:いやいや、最初のあなたの質問のほうが、よっぽど偉そうだ。人の生にいちゃもんつけれるほどに、自らの立場を高めている。 
修:おまえ、熱くないよ。 

おまえみたいのが、なぜ生きてるか?そんな中途半端に生きてるんじゃない、とかの熱い台詞。 

  生きてることを素直に言えないのは修行不足とか、このあいだここに来た通りすがりに言われたが。 

素直に、生きたいです!というかわいい素直な返答を好んでいるのだろうか?セクハラに近いものを感じる。 

禅の
今、死ね  死が死で 
今、無が無で無だ… 

とか言う禅かぶれのお馬鹿さん台詞を聞いたような。何かむかついて、 

殺すぞこら、と怒鳴ったら 

いのちしてるじゃん、と揶揄された。 

    殺すぞこら!は真理でもある。生命の根源とは餌の確保のための陣取りゲームだ。つまり、戦争である。修羅の論理ではあるが。現代社会もフルーツバスケットには変わりない。一説によれば、宇宙は始まったとたん、2つの陣営に分かれて戦争を始めたという。

あゝ、おれはひとりの修羅なのだ。

   あなたはこれから生きたら数年後とんでもないことして地獄行きです、という予言があるが、自殺したら善行なので天国や異星に転生する。というISやオウムのポア理論みたいな精神汚染に対抗できるか⁈ 生を選べるか⁈

   ダメなパターンとは…キリスト教徒の感覚がわからない知的好奇心。レプリカントが乱れてニューヨークと香港まで行ったらリンリンとランランとステップルがいて、巨悪と戦いつつ沈黙の戦艦みたいな修羅場をなんとかクリアしてきたので生きなきゃいけない、とか、子供のためとか。 

言い訳かな。 

   死ねというプレッシャー、殺すぞという圧力をかけていき…情けない、生きたがりの生命体を自覚させ、とりあえず、他人のためだの、家族のためだの、知的好奇心だの、ありもしないハードボイルドや大冒険、なんやかんやの言い訳を落とし、生命体自体の持つ怒り、根源的反抗をほじくり出す禅のテクニック。 

別に誰の為に生きてるわけでもなし。 

何で生きてんの?とか 優性社会思考。 
何食って生きてんの?とかは、普通。 

   別にムカデに何で生きてんの、とか聞かないし、そんなことはムカデの造物主に聞けばいい。そもそもムカデは答えないし、そんなことは考えない。考える機能が無いのではなく、人のように考えるなんて無駄なことはしない。何で生きてんの?もしくは、何でいるの?は、例えばムカデが人社会に出てきたときに生まれる思考だ。 

                   

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コメント: 1
  • #1

    My Vandehey (金曜日, 03 2月 2017 03:47)


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