放蕩息子

 ある説を説いていたら、夢の中で十字軍に怒られました。お風呂に入っていたらポーンと思いついただけなんですけどね。

 

放蕩息子の喩え とは イエス・キリストが説いたとされるお話しです。

 

 ある人に2人の息子がいた。弟が財産の分け前を要求し、父が要求通りに与えたので、彼は遠い国に旅立った。彼は放蕩をして散財した。飢饉がきて、食い詰めた弟はブタの世話係をして生計をたてる。貧困のあまり、飢えたときにはブタの餌を食べて飢えをしのいだ。ついに、耐えきれなくなった彼は、父のもとへ帰る。父は帰ってきた息子を走って抱き寄せ、肥えた牛を屠って宴会を開いた。兄は父に不満をぶつけるが、父にたしなめられる。

 

 私はその時、風呂に入っていて、自分の兄弟に財産を奪われて放浪した牛飼い座の伝説や、兄弟と双子座の関係を思い、聖書と星座の関係に思いを巡らせました。エクイノクスが双子座にあるころ、神は双子の相だったのではあるまいか・・。もしも、神に会ったとしたら、自分とそっくりな外見として現れ、対話するのではあるまいか・・

 

 そんなとき、この話しを思い出したのです。ピーンと来まして、この放蕩息子の話しは、輪廻転生について言っているのではないか?と。ようするに、【弟】は自らのアストラル体であり、財産とは肉体、遠い国とは「この世」である、と。財産を使い果たす・・とは肉体が弱って死ぬことであります。死んだ後、アストラル体はやはりまだうろついているのでしょう。飢えてブタの餌を食べる・・は、餓鬼化と言いますか、アストラル体が「飢える感覚」のあることを言っている。なんというか、吸血的アストラル体は、いわゆる死霊であり、血液などの媒体にエネルギー補給のため反応する、とはダイアン・フォーチュン女史の『心霊的自己防衛』に書かれていましたっけ。ちなみに、ブタは汚れたものたちです。その餌とくれば・・うんこと言わないまでも、アストラル残飯の類いでしょう・・低次元への転落ですね。

 

 おそらく、父は戻ってきた『アストラル体』に、新たな肉体を用意してくれる存在です。生け贄の牛は『新たな肉体』と、私は見ました。しかし、ここでぶつくさ言う兄は何者でしょうか?おそらくこれは『メンタル体』でしょう。より、父、神・・ないしは『コーザル体』に近いのが『メンタル体』です。以前、仏典を紐解いて書きましたが、ダイバタッタが釈尊を殺そうとしたことを、感性(アストラル体)を疑う、思考(メンタル体)の試み、といった視点で書きました。

 

 なぜ、兄たるメンタル体は、ぶつくさ父に文句を言うのか?と言えば、無明庵EOさんとかみたいに、もう二度と生まれて来たくないからでは?と思いました。私は、EOさんの本を読んでいたときに、走光性のピーピーとうるさい自分のアストラル体は闇で消そう、とか書いてあったと記憶しております。いわば、アストラル(感情)殺しの、教えなのか、とかよく自問自答しておりました。

 

 そこまでは、単なる思考の展開で、神秘体験は介在してないんですけれども、これを考えた後、寝ると、強烈な神秘体験と言いますか、夢に襲われまして、要約すると、十字軍の恰好をした(槍を持った騎士)KKKのような頭巾をかぶっていまして、そいつに『私の師(イエス・キリスト)の教えだ、異教徒が引用すんじゃねー』的なことを言われたのであります。どうも、そいつから『銀色のまばゆい星』、KKKの頭巾、槍で刺すイメージ、白い日光と強い塩気、が同時にグワワーッと来まして、少し参りました。

 

 なんか、グルジェフとかメイソンとかみたいな図形も出てきまして、グノーシスとか、何とか騎士団、とか、そっち系なんかな、と。

 

 同時にそいつが十字軍の時代に何をやってきたかが、わかりました。ようするに、説教強盗です。神の教えを説いては、キリスト怖くないのか?おんどれら、とカツアゲ、荘園を通しての税金を巻き上げていたようなんです。現世でのお金に価値などはない、お布施したら、おんどれらの財はワシら教会や十字軍の餌くらいにはなり、天に徳を積めるんじゃけぇのう、というのが彼らの言い分です・・。彼らは私の夢に時々登場し、メッセージを残していきます。現世での友人のキリスト教徒さんたちは、彼らの代理店なようなものかと思います。コワイのが、明晰夢、夢の中でケータイを見ると、ラテン語のメールが入っている時です。マジでコワいです・・。

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コメント: 11
  • #1

    oba(時折、拝見しています!) (火曜日, 18 11月 2014 10:31)

    豚を本来の姿から外れたイスラム教として、牛をヒンズー教の象徴と捉えてみました。食い詰めたとは、もはやキリスト教がもはや力を失ってしまっている。かといってイスラム教では、我慢にも限度がある。ヒンズー教が何とか残っていても、ヒンズー教ではとてもじゃないが認める訳にはいかないと怒る。と考えて楽しんでみました。
    子供が思いつく大人像は、自分の子供の部分を闇で消そうというような発想に陥ることがありませんでしょうか。場合によっては、鍛える修行をして殺そうとする。でも、一般的にこどもが大人になる時にそういう経緯を辿らないと考えました。
    なんだか自分の子供じみた行動が恥ずかしいと思うようになって、どこかで大人の振る舞いを観るとその良さが分かるようになって、いつしか自分も大人としての生き方をするようになる。振り返ると自分の子供の部分が無くなっているものでは無いかと思いました。
    としますと、子供であっても立派な大人もするだろう振る舞いが徳を積むことだったりするでしょうか。それは子供のままなのに自発的に何故か出来てしまう場合と、大人の言うことを素直に聞く子供が教えられた通りに従順にしている場合の二つがあると考えます。
    前者が本来の徳を積む行為だろうかと推測しました。後者は、殺伐とした人間関係に陥らなくなると思うのですが、あくまでも子供の立場なので、前者のほうが何か良いなと思います。

  • #2

    ebi (水曜日, 19 11月 2014 00:53)

    イスラム教徒は豚を不浄として食わないそうですが。
    意外と正しいのではないでしょうか。
    エボラウィルスは豚を媒介とするらしいです。
    フィリピンや中国では、豚から人への感染が確認されてます。

    ガラリヤの豚とはウィルスの類いなのか?とか思ったり。
    感染したら湖に飛び込んだり。

    ラマダーンとか、ひじょうにエコだと思います。
    一つの国が、蝋燭だけで半日断食するだけで原発はいらない。
    イスラム国に参加した、若者たちはカッコイイですね。
    ダイジとか、無明庵に似たアングラさがあります。
    秋葉原の古書店に大司祭とか言われている店主がいて、
    そこに貼ってある紙にジハード戦士募集とか。応募した
    北大生はマスコミに死ぬ危険考えないのかと聞かれこう言った、

    別にオレが死ぬのはたいした問題ではない。

    またイギリスからイスラム国に参加した人の台詞。

    私が安全な環境や身分を捨て、諸国を行脚し、『ここ』に辿り着いたのは…答えはただ一つ、アッラーのためだ!

    カッコイイ、ヒッピーのビート文学とかネイティヴアメリカンとか、サニヤシンみたい。
    しかし、私の出してるナチ本、悪魔本見られたら首切りは間違いないです。

    子どもうんぬんに関しては、子どもいない人はわからないです、すいません。子どもに対する愛情や意識も、高次のものとは思いますが、いないからわからない(汗
    ただ、子どもいないと、別に人類はエボラで9/10くらい滅びてもいいんじゃないかなぁ、と。池上彰さんの環境スペシャルみてマジでそう思いました。1時間で東京ドーム127個が砂漠化して、アラム湖が干上がり、北極熊が氷無くなって泳いで力尽き海底に沈んでくの見ると。

  • #3

    oba (水曜日, 19 11月 2014 02:30)

    言葉のチョイスがおかしくて、失礼しました。
    子供とは、精神的に子供な様子を言っているつもりでした。

     (誤)>子供が思いつく大人像は
             ↓
    (変更)>ませた子供が思いつく大人像は

    ebiさんが言及なさった登場人物のお話を聞いての感想です。

    その者は覚っていないのに、自分は覚ったんだと誤解している人なのでは無いかと思うところがありました。それは、その者だけがしている訳ではなくって、結構多い気がします。ebiさんがおっしゃるように、シンプルに言ってしまえば、感情を殺すことを目指しているように見えてしまいます。
    子供≒衆生。大人≒仏。と配置して、実際に世の構図としての子供と大人になぞらえました。なぞらえ考えますと、どうしても大人とは思えなくて、ませた子供のイメージです。

  • #4

    oba (水曜日, 19 11月 2014 03:17)

    そういえば、イスラム国の話ですが、、
    この世の天国に生まれているのに、自らこの世の地獄に志願している様子に見えてしまいます。身体の大きな像が沼池に果敢に挑むようなイメージをどうしても持ってしまいます。

    むしろ、若者たちの心意気が格好いいと思いつつも、既にイスラムに反しているだろう本を執筆されているところが興味深いです。

  • #5

    ebi (木曜日, 20 11月 2014 11:57)

    〉その者は覚っていないのに、自分は覚ったんだと誤解している人

    あー…たまにいるよねー、そういう人。ってオレか⁈ 笑

    僕は悟ってないですよ〜。悟りって何?とドラゴン和尚にお聞きしたいくらいです。

  • #6

    ebi (木曜日, 20 11月 2014 12:13)

    昔の悟り系のノリは、あの人は悟っているとか悟っていない、とか
    あくまで悟ってない人たちが評価してあーだ、こうだと
    そもそもオマエ悟ってないんだろ、なら、悟りソムリエのこの私が三ツ星覚者に認定したあの人のとこがいいよ、とか変なことになり
    悟ってないなら従いな、とかの洗脳メッセージにより
    その三ツ星覚者のとこに行ったら、
    3べん回ってワンコしろだの、犬のように野糞しろだの
    財産や土地をお布施しろだの、
    サリンをまけだの言われた人たちがいたわけですが
    ようするに裸の王様と同じで
    誰も悟りを見たことないんですよね

  • #7

    ebi (金曜日, 21 11月 2014 02:56)

    わー、今日一日たいへんだった。
    飯くってたらビルで防災ベルなるし。
    帰ったらボヤで布団燃えるし、ボヤと同時に表の交差点で
    車が事故ったw

    これは、ドラゴン和尚が桐山氏のように念力で火をつけよう
    としてらっしゃるのか、和尚が背負った因縁をこちらで
    処理することになったのかわからん。アゴーン。

  • #8

    oba (金曜日, 21 11月 2014 03:49)

    >あー…たまにいるよねー、そういう人。

    もちろんebiさんのことではありません!笑

    >三ツ星覚者に認定したあの人のとこがいいよ

    これって、かなりデリケートな事だと思ってしまいます。
    偽者をほんものと誤解してしまう事は恐ろしいと思うのですが、仏典で知った、ダイバダッタやコーカリヤの逸話が気になりました。
    覚者を前にして、本物か疑うのはまだしも、偽物だと誹謗したり、偽物と断じて頑なに認めない人の行く末の恐ろしさがしたためられていました。

    >悟りって何?

    果して、実際はどんな境地なのでしょうか。
    わたしには覚りは分かりませんが、仏と言わずやさしい人(人と呼ぶのは間違いかも知れませんが)とすると何だかしっくりきます。
    「あなたは本当に仏教徒?」と言われていた時は、心のどこかで、よりやさしい人もっとやさしい人を探していたような気がします。別に所属している宗派を否定していた訳では無かったのですが。

  • #9

    oba (金曜日, 21 11月 2014 12:12)

    #7のコメントを読んで居ませんでした。
    そのような事があったのですか。布団が燃えるほどでいらっしゃるとは。。

    強いて心当たりがあるとすれば、木曜日の午前中です。
    ebiさんと出会った頃によく仕事で行っていたお寺で、とある災害(水害・悲劇)がありました。いまは全く関わっていないのですが、そこの篤信の信者さんはうちのお寺にお墓がある関係で、久しぶりにお会いしました。そこは不動明王が祀ってありますが、災害を耳にした時に、昔の自分の危うさを具体的な形でハッキリと感じました。
    もしそれが原因でしたら、その人たちと会うのを予期していた私は、心か身を守ろうと本能的に働いて、三日前からebiさんのところへ参じてしまって、処理して頂いてしまった。

    >表の交差点で車が事故ったw

    前日の夢では、車が大渋滞で進みませんでした。

  • #10

    ebi (土曜日, 22 11月 2014 19:52)

    ウチからすぐ近くに、お不動さんを祀った有名な寺がありますよ。
    未解決のバラバラ殺人が境内にあったので有名な。
    て言いましたっけ⁈

    PS.災害のあった寺が気になります、そう言えば、岡山県の金剛寺
    という寺で和尚が近所で評判の美人妻を撲殺、寺に火をつけ全焼とか。
    岡山県気になります、さらに言えばウチの近くに岡山藩ゆかりのヒーリングスポット(城跡)があります。ちなみにその城跡はお江戸の大火で焼けたらしいです。岡山からの業を感じます…ぼっけぇきょうてぇ。 くだんの城跡はいずれこのブログで紹介しようかと思います。

  • #11

    oba (日曜日, 23 11月 2014 05:55)

    ebiさん、それは初めて聞きました!

    最近テレビでも、ちょっとした商品の紹介で岡山県のことに触れたりする様子が多いです。それらは観ていて違和感がありました。お聞きして頷くところです。まだ決定ではありませんが、来月は岡山に行くかも知れません。