式神というものが

 あるらしいですけれども、なんかの狐みたいな小動物が陰陽師に仕えたり、召使いみたいに言うことをきいたりするらしいです。紙を人の形にしたりして。人から聞いた話しか、私が直に見た話しかは伏せておいて、式神を使うとかいう人を見たところ、陰気な顔をした死霊が数体、家族会議みたいに術者のまわりに陣取っていたりそういう状態だったらしい。なんか、式神使うとかイメージちがくない?みたいになりますよね(笑

 

 私の式神に対する考え方は、京極夏彦さんのわけのわからない解説と似たようなもので式・・つまり、数式、方程式の「式」ととらえます。例えば、映画「呪怨」のように「エネルギー」が惨事のあったマンションにわだかまり(この場合、そのようなエネルギーが仮にあるとします)、そこに住んだ人に共鳴して作用します。そして、それは因縁によりやはり「同じような人」が引き寄せられて住みます。惨事が起きたときの犠牲者の数が三人だとすると、三人というのがキーワードとなります。つまり、三人という数がトリガーとなるので、残る一人は助かったりします。新しい人たちが住み、3人そろったところで、スイッチが入り、エネルギーは惨事を起こすために作動します。そして、それは例えば事故の起こった時間もきっかり同じだったりするわけです。例えば3時20分に異変が起こる・・・。

 

 何が言いたいかというと、仮にそのエネルギーが作用してるとして、代わりの人を要求するわけです。人を代えて似たような現象を起こし続けます。仮にこういうエネルギーを術者が見つけて「式神」にしようとしましょう。西洋魔術でいう「人工精霊」も似たようなもので、かのオースティン・スペアは「人工精霊とは潜在意識に住まう自動人形(オートマタ)だ」という至言を残していますが、つまり自動人形、ある条件下で同じものごとを起こすエネルギーが「それ」なわけです。「それ」を式とか人工精霊とか言ったりします。「式神の式は、数式、方程式の式」と京極夏彦さんが著作でおっしゃられてましたが、つまるところ3人そろったら、とか7人そろって海にいると・・とか、そこの土地を掘り返すと・・とか、ある条件下で、作動する、のでまるで数学の方程式でしょう。なので、式神の式は数式の、方程式の式、なのです。

 

 それを、何だか小狐ちゃんとか、小鳥ちゃんとか、可愛らしいものに脳内変換して、仲良くなりました〜〜とか、そういう術者もいらっしゃいますが、昔ある掲示板のスレでは意見が真っ二つに分かれまして、式にそういう感情はない側と、いや、ひどいですぅ仲のよい友達なのに・・という、意見に分かれました。

 

 前者の、式に感情は持たない、というかそういう対象ではない、というのは非常に男性的かつ数学者のようなクールな見方でして、術者は「人というものは1なるもののものすごい微小の1部分の時間軸における体験を自分と呼んでいるにすぎない」という認識と、禅書も文句にある「表口はせまいが裏口は馬車が通れる」という認識と、AさんとBさんという人間がいた場合、人二人しかいないと見るか「エネルギーはAさんからBさんに変化している、あるいは一つのエネルギーがAさんとBさんという形をとっている」という認識が必要です。つまるところその方程式をなす「エネルギー」が人1人よりも大きいということがわかるわけですね。人数人で作動する「エネルギー場」のようなものです。つまり、式は人より大きい!かもしれないわけです。話しを戻すと、術者はそのエネルギーの傾向と、作動する条件を知っていて、そこにターゲットを放り込むわけです。

 

 後者の脳内変換型、お友達式さん系は一見メルヘンメンヘルなようでして、しかしじつは前者よりはるかに悪質だったりします。こちらの手口は主に女性が使うのですが、長い間かけてそのエネルギーの宿ったものにラポールというか、半分強制的な「私たち友達だよね?」という想念を数年間かけて送り続け、関係をきずく、正体を知るととても怖い手口なわけです。ちょっと、ミザリー??とか思ってしまいます。女性的なやり口と申せましょう。

 

私的な見解ですが、前者は都会的、後者は田舎的な印象を受けます。