徒然なるままに・・

 だんだん、涼しくなってまいりました。苦労のかいあってか、ポスティング魔の攻撃もピタリとやみました。そこで、普段鍛えたロングフックでKOするという選択肢もあったわけですが・・。結果的にはポスターで注意を呼びかける方法をとってよかったと思います。

 

 選択肢について考えてみました。アダムとイブの暮らしていたエデンでは・・おそらくは選択肢というものはなかった。『蛇』が誘惑するまでは。おそらく、『神』がはじめて[not]という否定形を使ったことにより、『選択肢』が発生した。

 

 すべてがOKだったはずです。しかし、『神』が否定形を表されたことにより、そうでない、もうひとつの可能性に『神』が分離した。『差異』が発生してしまったわけです。そのもうひとつの可能性、パラレルワールドからの使者が『蛇』だったわけですが・・。なんだかエヴァンゲリオンみたいな話しです。

 

 エヴァンゲリオン26話で、ミサトは言います。「シンジ君、私たち人間もね。アダムと同じリリスと呼ばれる、生命体の源から生まれた18番目のシトなのよ。他のシト達は別の可能性だったの。ヒトの形を捨てた人類の、ただ、お互いを拒絶するしかなかった悲しい存在だったけどね。同じ人間同士も・・」

 

 たとえば、今、目の前にはコーヒー缶がありますが・・これは、コーヒー缶という可能性の固まりかもしれません。その存在確率が下がるだけで、それが、コーヒー缶ではなくなってしまう可能性すら、あるのです。

 

『蛇』のもたらした可能性は、100%であった『神』の決定を覆すことでした。そして、それは成功したように見え、時間なるものが発生し、我々は100%ではなく、1~99%のゆらぎの世界に生きています。そもそも、『選択』『差異』が発生しない限り、人は時間上のベクトルを進めませんし、言語すら発生しません。すべてが同じ方向を向いた、『同じもの』になってしまいます。しかも、『神』の決定が100%だとすれば、我々は林檎を食べていない可能性すらあるのです。世界は幻覚・・なのかもしれません。世界は100%ではありません。