王権神授説への反逆

 人の個性たるものは人と人の間に<差異>があるからである。どちらかというとキリスト教における<魂>なる考えは、私は<神>からこの個性、性質、肉体を預かった。それは<私>の王権と言ってもよく、それを最大限に伸ばすべく私は努力する。この考えに基づいた人々が伸びてきたのは事実である。

 

 しかし、あえてその<王権神授説>と言っても過言ではない、この素晴らしい考えに反逆してみる。というのも、ひょっとしたら・・そうなんじゃないのか?という<あること>に気づいたからである。

 

 ある人を見る。さて、違う角度、違う側面から見てみれば、違う人が出てくるのではないか?人というものは<あるエネルギー>の一つの角度の側面であって、角度を変えたら違う人<モノ>が見えてくるものである。<あるエネルギー>を<ゾウ>としてみよう。違った角度から<ゾウ>を見れない人間はそれを常に<固有の、不変たる性質を持った人、モノ>と考える。しかし、角度を変えてみると、違うものに見えるのである。これから、その理解に役立つ例をあげていこうと思う。