笑い声

  あるとき、スポーツクラブにおいて、私が風呂から出ると、一人の男が怒鳴っていた。

「ドライヤーのスィッチ入れっぱなしだぞ!いったいどうなってる!狂っているのか!注意しろ!」

そこにいたスタッフ3人は平身低頭するのみであった・・。

 

私はそこにいたのだが、こう思った・・。

どうして、スタッフと言えど、人に威気高々にどなれるのだろうか?狂っているのか?教師なのかな・・。社長さんかなんかか?たぶん頭のスイッチ入ったままなんだろうな。

 

ここで、私は気づいた。スィッチが入る・・ダジャレのようになっている!狂っているのか?という単語と、ドライヤーのスィッチと、頭のスィッチが重なっている・・うまいこと言ったな。どうして、このような結果が生まれるのだろうか?私が、意識して言ったわけではないのだ。言った後、ハッとして気づく、まるで『ジョジョの奇妙な冒険』における、ジョセフ・ジョースターのような感覚がこの占法の『シャッターチャンス』である。

 

スィッチ(ドライヤー)入ったまま 狂っているのか> 注意しろ <狂っているのか スィッチ(頭)入ったまま 

 

注意しろが『山』である。仮説ではあるが、『注意しろ』という感情が、山、△のような盛り上がりをその『火』によって造る。時間には標高があるのである。感情により起伏ができ、その周りを『水のような時間』が『等高線のように』囲んでいる感覚である。

 

つまり、『時間とは水のようなものであり、知恵や、感情的高まりという山のまわりを、囲んでいて、あたかも等高線のように言語はそれに沿う』ということである。

 

この『等高線』を調査するための技法が『ニュー・コックリさん』だと思ってほしい。ちなみに、先ほどの文章の単語は

スィッチ入ったまま 狂っているのか のリフレインなので、頭文字だけ抜き出すと

 

『す く す く』

 

つまり、『く す く す』 である。

 

姿なき霊の笑い声である。私がうまいことを言ってダジャレのようになったので笑ってくれたらしい。まるで、こっくりさんのような様相を呈してきた。