アジアの解放



マトリックスはシステムだ。そのシステムが我々の敵なんだ。

その内側にいて、周囲を見渡せば、何が見える? 

ビジネスマン、教師、弁護士、大工。

彼らこそが我々が救出しようとしている『心』 だ。

だが、我々が救助を終えるまでは、彼らはシステムの一部、つまり我々の敵になるんだ。

心しておけ、彼らの多くはプラグを抜かれる準備ができていない。

絶望的なまでに飼いならされ、システムに依存した彼らは、システムを崩そうとする者を攻撃しようとするだろう。

映画『マトリックス』モーフィアスの台詞より

仏教的遊撃戦論


仏教は偉大な体系である。しかし、共産主義やイスラム国などの他の思想の絶滅を彼らの教義にしているものたちに、いつ弾圧、迫害されるかわからない。日本は仏教国なので、そのような迫害はないように思えるが、戦時中には国家神道による破仏があった。戦時中は特高により拷問や投獄の憂き目にあった仏教関係者もいただろう。また、戦国時代には織田信長のような権力者による焼き討ち、ジェノサイドが行われている。比較的温厚な徳川幕府下においても、宗派によっては弾圧があり、日蓮宗不受不施派や隠れ念仏のような迫害を受けた宗派があった。日蓮宗は迫害を予見した法華経を根本経典にしているために、逆にそれをバネにしているようなところもあるが、隠れ念仏などは庶民の知恵の結晶だと思う。何も仏教だけに限らず、隠れ切支丹や、逆にローマカトリックの弾圧を受けたペイガンなどの異教においても「隠れ」信仰スタイルというのは生じ、中には秘密結社となったものもあった。彼らは交信の暗号化に成功し、様々なシンボル、身体的サイン、合言葉により内部の人間か外部の人間かを区別した。


思うに、インドのカースト不可触民から発生した仏教や、ローマ帝国によりイエスが処刑されたことに原因を持つキリスト教など、世界宗教になるような宗教は、超権力的なものの弾圧と戦い、逃亡し、あるいは身を隠してその教えを絶やさぬようにしてきた。彼らに政権の抑圧は日常であり、そのために用心深さ、賢さが進化したとも言える。釈尊が崇拝のための偶像やシンボルについて作るなかれ、と説いたのも権力者による弾圧の目印になることによるに違いない。法華経の他の経典と特別に違うところは、その弾圧への予見と対策にあると思う。なぜ方便というか、経典の学習者のみがその真意を理解するからである。一種の暗号と言ってもよい。


有暇具足というのは重要なことである。人生は短く、学ぶ余暇は更に短い。我々が政府の弾圧に関わりあっている間に、信仰において修行したり学習したりする時間はあっという間に過ぎてしまう。正面きって戦うという意見もあるかもしれない。しかし、人殺しの技術を日夜磨いている中共やイスラムの軍隊と、お経の練習を日夜している僧侶たちでは、戦闘能力の差がありすぎる。いや、100%負ける。なので、宗教者としては、大本営を構えて正面から戦闘するというよりも、逃走しつつ布教するというものになると思う。戦略としてはアウトボクシング、遊撃戦的なものになる。


そこで、隠れて信仰するというスタイルが必要となる。仏像は立派なもので、信仰の道筋を示してくれる。しかし、弾圧する政府や、異教徒の格好の標的になってきた。中国共産党政府による仏教遺産の没収や違法売買、イスラムによる盗掘や大仏の爆破など後を絶たない。日本ではフィギュアのようになっていてプラモデルメーカーから発売されているのが微笑ましい。実際に開眼すれば仏像となるのでは?とも思う。アンドロイド観音なる奇妙なAI仏まで創造された。しかし、所変われば、おそらくはイスラムはこのアンドロイド観音を爆破するyou tubeを作成するだろうし、中国共産党は没収した挙句、見世物の観光資源にするだろう。


そこで、信仰対象のシンボルを何処かに隠す、ということが必要となる。できれば、我々の日常に用いていて、パッと見て誰にも疑われないものがよい。「隠し念仏」だとまな板に細工がしてあり、パカっと開くと阿弥陀仏が出てくる仕掛けである。


①信仰の対象を文字に隠す。

梵字を信仰する。簡略化した梵字をデザインの中に紛れこませる。パッと見、グラフティアートにしか見えない。注意すべきは、卍などの既に標的になったシンボル。少林寺拳法のマークはナチスのハーケンクロイツ扱いされて変更を余儀なくされた。


②信仰の対象を数字に隠す。

数字に隠す。灌仏会の4.8や、成道会の12.8、涅槃会の2.15、84000の法門、阿弥陀仏の48請願、観音の33化身、弥勒菩薩の369などを表記する。あるいは、空などを象徴する0でもよい。これに礼拝するのである。


③礼拝の仕方を変える。

現在、チベットでは五体投地しただけで公安のマークの対象になる。酷い場合には投獄される。なので、膝を曲げるだけの簡略化した三礼。あるいは、何気なく三回周りを回るという礼拝を用心深く行う。ヨーガの太陽礼拝などの体操の中にその動きを隠す、などの工夫が必要となる。いちおう断っておくが、これは権力や他宗教による弾圧のある国においてであり、日本やタイなどでは堂々と礼拝すればよい。下は焼身抗議を行う女性。焼身抗議は後を絶たない。