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16日 9月 2017
〈無〉は主体が無いので、〈無い〉という行為が働かない。もちろん、〈有る〉という行為も働かない。〈無〉は指さされるもの、呼ばれるものとしても成立しない。成立するものとして、成立しないものとしても、構成(サンスカーラ)できない。だから、〈それ〉を何と言う?さぁ、言え。と問われても〈それ〉と指示されない、と問いそのものの矛盾を説明するしかない。 諸々の有は〈非無〉として言われるが、全く実体としても概念としても構成できない〈無〉に〈非〉や〈異〉はかからない。よって、〈非無〉というのも成立しない。無は有と不異であると言われえない、片方が概念(法)として構成できない。こうした概念としても存在しえない無を〈空〉と仮に釈迦牟尼は名付けた。更に言えば、〈有〉というものも眼耳鼻舌身意で把握されているだけでその客観的有無は把握しようがなく、西洋哲学でいう本体的なものは不明なので〈有〉と言わず、感覚器官で捉えられたところのとりあえず有る根拠…形=色(ルーパ)と呼んだ。 色 不異 空 空 不異 色 〈色≠空〉の方程式は、否定される。方程式には両端の2つがあるべきだが、空のほうは指し示せず入るべき記号すら実は仮である。片方だけ…方程式の端が1つだけならどうする?これが隻手の公案である。 ☀︎ ネ申、天の父、創造主、ブラフマン、なんと呼ぼうとかまわないが…彼は失敗をしているのではないか?存在つまり有るものとして、自らや被造物を設計している。自らを在りて在るもの、万物はそれに造られた。〈在るもの〉は顕現したブラフマー、〈在る〉は非顕現の創造力としてのブラフマン。 しかし、彼は無を造ったわけではない。無に対する概念は造ったかもしれないが、無はどう考えても造れない。造られたところの何がしかは無ではない。つまり、在る、有る、造る…は無に反する行為と思っていいはずだ。しかし、〈無〉にどうやって反せるんだ?大地を踏みしめようとしたら大地が無かったようなものだ。〈有〉が〈無〉に反して、つまり反無、非無として有るならば、おかしい。そもそも、指し示せない〈無〉に依拠できないじゃあないか? この世界や諸存在や自分は〈無〉という指示できず測れないものに依拠できるという錯覚のもとに、無に反する…〈存在〉として建てられた、幻覚の化城なのだ。 ちなみに、指し示す、は、ヘブライ語だとセムになる。セムはノアの長男である。セムには指し示す、名前という意味がある。次男ヤペテは空間的時間的な広がり、または多数という意味。三男ハムは焦げ跡、黒い、という意味である、黒いから見えない、という意味だろう。父のノアの意味は、お休み、安息、という意味である。 無は指し示せず、名づけられない。セムは後ろを向くしかない。 無に時空の広がりや数量はない。ヤペテも後ろを向くしかない。 無は見えない。ので、ハムは父に顔を向けても言い得ている。 ハムは父ノアが酔っ払って、裸で情けない姿で休んでいるのを見た。〈裸=衣を脱いだ存在世界〉は〈酔っ払い=錯覚〉の上の産物なのだ。酔っ払った(錯覚した)創造とは依拠できない無に依拠し、偽りの無に依拠した偽りの有(幻覚)を建設した。偉大な設計者の建てた世界は〈自分〉も含めて幻覚、マーヤなのではないか? かの釈迦牟尼も同じことを言っている。 「家を建てたものよ、おまえの正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を建てることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。」 ここでブッダが説かれている形成作用というものが12縁起2番目のサンスカーラ(行)である。EBI個人の見解としては12縁起1番目の無明は、家を建てる者つまり梵天の原初の錯覚、創造者の〈酔い〉を言っていると思うのだがどうだろうか? これは私や友人が酔っ払っていたり、寝ないで仕事をしていて、ある案件で記入する項目を錯覚して間違えたということにヒントを得ている。 ☀︎ 【補足】 有=非無は〈有る〉とされているが、無=非有は〈無い〉とされない。主体が無いと行為は成立しないからだ。〈無い〉は已去(すでに存在したもの)にかかるわけだ。しかるに、死んだ人は無い…というふうに。(ここの文章はもっと先に書いていたが、有を色=ルーパにしただけで後にせざるを得なくなった。囲碁などやったことはないが、石1個で文の流れが変わってしまう。〈色≠空〉の方程式も最初は〈有≠無〉として表現していた。) ☀︎ PS またもや早朝ミサイルである。隠れろ、と言っても走行中の電車内のどこに隠れたらいい? はたしてカリアゲはヤル気なのか?ミサイルを打っている背後でFXや米国債の空売りで稼ぐ筋がいることは間違いない。キムはトレーダーだと思う。 日本政府は全く意味がない“厳重な抗議”を止めたらいい。鉄輪王であるアドルフ・ヒトラー総統はこう言われた。 〈奪われた国土は激しい抗議によって国家の膝下に戻ってくるのではなく、 戦闘力のある剣によって取り戻されるのだ。 〉 この言葉に学んだらどうかね?と麻生さんに言ってほしい。「戦闘力のある剣が」無いのならば、「防御力のある盾」を造らないのはなぜか?私が言っているのはジオフロントのことである。防空壕能力のある地下空間を何故造らないのだ?少し前には清水建設がジオフロント計画を建てていたというのに。