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不動明王と倶利伽羅龍王の正体

不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣と羂索(けんさく)を持つのを基本としている。羂索とはロープのことで、やはり山岳宗教が起源なのだと思う。山は、ロープなしには登れないからだ。不動明王はビレイする人を表しているのではなかろうか?


不動明王の身体は基本的に醜い青黒い色で表現される像容が多い。青黒は死と憎悪を表している他、黒色の代わりでもあった。タンカや仏画では黒色は避けられたのである。黒はドラヴィダ系のインド原住民の肌の色でもある。青黒はまた泥の色とされ、頭頂が八葉蓮華であるのも泥上の蓮を表している。


黒人(ドラヴィダ系)の神が起源である、つまりヒンドゥー教のシヴァ神のこと。


梵名はアチャラナータ。「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味である。


不動明王は「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れる。『大日経』では大日如来の使者として「不動如来使」として現れ、『大日経疏』でようやく「不動明王」と名前が出てくる。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。


密教では三輪身といって、仏は「自性輪身」「正法輪身」「教令輪身」という3つの姿で現れるとする。「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしい姿で脅し、教え諭す。例えば、ヤマーンタカ(大威徳明王)は阿弥陀如来の教令輪身。


不動明王の炎の後背には迦楼羅炎が浮き出し、鳥類的な特徴も暗示している。


が、ここで注目すべきは、倶利伽羅龍王という龍そのものの登場である。


不動明王の智剣には竜(倶利伽羅竜)が巻き付いている場合もあり、この事から「倶利伽羅剣」と呼ばれている。


倶利伽羅龍王は、不動明王の化身である。

倶利伽羅龍王は、インドの八大龍王の一尊。インド現地の八大龍王である。日本の八大龍王は法華経を元にしており、そうではなく、インド神話における八大龍王のクリカ(Kulika)龍王のこと。陀羅尼集経には「鳩利迦龍王」とされる。


「はじめは不動明王を念ずる功力によりて、この龍を駆使し又はその保護を受くとの信仰より、遂にこの龍を明王の化身とし或いは三昧耶形とするに至れり」『密教大辞典』


倶利伽羅龍王についてのお経さんは『倶利伽羅大龍勝外道伏陀羅尼經』というものがある。


佛説倶利伽羅大龍勝外道伏陀羅尼經


如是我聞。一時佛在王舍大城。爾時、寶幢陀羅尼菩薩、佛にもうして白く。「倶利伽羅大龍はいかなる因縁をもって利劍を呑飮し、四足を以て繞われるや」。

佛、寶幢陀羅尼菩薩に告げて言く。「昔、色究竟天魔醯首羅知勝城において、無動明王、外道と論ず。共に種種の神變を成智す。時に無動明王、成智火之劍を變ず。時に九十五種の外道あり。其首の人名は智達なり。又た智火劍を成ず。時に無動明王、智火大劍を變じて成る。倶利伽羅大龍に四支あり。降三世、軍陀利、琰魔都伽、金剛夜叉等四大明王也。王の頸に蓮有り、名ずけて智火含字倶利伽羅という。高さ十萬由旬也。口より氣を出し、二萬億の雷が一時に鳴るが如し。之を聞き、外道魔王、惡疑邪執を捨つ。


佛説陀羅尼曰

曩謨悉底 のうまくしってい 悉底 しってい蘇悉底そしってい 悉底伽羅 しっていきゃら羅耶倶琰參摩摩悉利 らやくえんさんままりし阿闍麼悉底娑婆 呵あしゃましっていそわか


此呪の威力により一切不詳を除き、諸魔王を降伏す。若し人有て靈氣に惱むものは。姓名を書き、此呪を以って誦すること三七遍すれば靈鬼忽然之○に焚燒するを得る。五辛酒肉を断ち、婦女穢執に染せず、一心に此呪を誦せば、一切の所求決定得圓滿す。時ならずして樹を開華せしめ、四海を山となし、妙高山を海と成す。此呪威力此呪功徳也。氷を焚くこと油の如く、心樹を凹すこと水の如し。一切皆な心に隨う。猶お跋伽梵の如し。故に重ねて偈を説いて曰く

修行者に奉仕すること 猶し跋伽梵の如し

三摩地上を得ること 菩薩と同位

倶利伽羅龍 彼の名字を稱念すれば

現に怖魔障を除き、 後に安樂國に生ず


佛此經を説くを聞き。一切惡魔王九十五種大龍王。大歡喜して信受奉行せり。


倶利伽羅龍王陀羅尼經 終


倶利伽羅龍がなぜ剣を飲もうとしているのか?と言えば、この剣は智達外道が神通力をもって顕現させたもの。対決した不動明王の剣が龍に変化し、智達外道の剣を飲み込んだという。智達外道はおそらくは六師外道の沙門のことだろう。


なぜか対決の構図がモーセのファラオの魔術師との対決にそっくりである。あちらは剣でなく杖だが。蛇が相手の杖を飲み込んでしまうところはほぼ同じ。モーセも「彼ら」の血筋であろう。


重要なのは不動明王の化身として倶利伽羅龍王だろう。つまり「龍」が不動明王であることを言っている。「爬虫類人種」を龍とすれば、不動明王の正体も彼らのことだろうと推測される。五大明王は全て爬虫類人種の性質を表す。明王の王である不動明王では龍そのものが化身として出てくるのは納得できる。


注目すべきは倶利伽羅龍王のサンスクリット語[Kulika]だが、どうも八大竜王のクリカ竜王とは違う意味もあるようだ。


なんとシャンバラの王をクリカと言うらしいのだ。


クラ(部族)を持つものという意味でその種族の族長がクリカと呼ばれているようだ。ただ、シャンバラの出てくる時輪タントラという経典を研究した学者により、学説間の論争になっている。ヒンズー教のヴィシュヌ派の影響の強いのが時輪タントラなのだが、クリカはサンスクリット語ではカルキと呼ばれるのでは?という説があり、クリカはスペルミスなのでは?とのこと。以下、ウィキペディア英文。


As explained by Buddhist scholar John R. Newman, the Kalki are often erroneously termed "Kulika" by Tibetan Buddhist scholars unfamiliar with the original Sanskrit texts:


しかし、英訳をしたJeffrey Hopkinsは、ダライ・ラマ法王の間近で長年研究していた学者で、彼がサンスクリット語のカルキを知らないわけがない。おそらくチベット語の発音だとクリカ "Kulika" に近いものだったのではあるまいか?


つまり、不動明王の化身である倶利伽羅龍王の正体は、シャンバラのクリカ龍王なのではあるまいか?というのが本稿の趣旨である。


クラ(部族)とは《種族》であり…、クリカとは爬虫類人種の王…クリカ龍王なのだ。シャンバラ王は地上のあらゆる武器を無効化して世界を征服するという。《剣を飲み込む龍》はまさにそれを表しているようでならない。


画像はレプティリアン的特徴をよく捉えている倶利伽羅龍王。埼玉県は不動沼の倶利伽羅龍王。

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金剛夜叉明王と烏枢沙摩明王

金剛夜叉明王は北方の守護を司る明王である。サンスクリット語ではvajrayakṣa=ヴァジュラヤクシャ。ヴァジュラとは金剛杵のこと。インドラの持つ雷を放つ武器。ヴァジュラが金剛夜叉明王の牙として喩えられている。


金剛夜叉明王は、人を襲って喰らう夜叉であり、人々の恐怖の対象であったが、後に大日如来により善に目覚め、明王となった。

仏教に帰依した金剛夜叉明王は悪人だけを喰らうようになったと言われる。人間には腐ったものは食べれないが、この明王は腐った者を食べるのだ。


ここに見れるのは、金剛夜叉明王のカニバリズム的側面であろう。この明王は人を襲って食うのだ。人類には暗黒史がある。かの先住種族に食われていた、その時代である。仏教に帰依した彼らははたして悪人を見分けて食べるようになったのだろうか?何らかの選別が行われるようになったのだろうと思う。しかし、レプタリアンの伝説を見るに、食われるものは彼らが変身したい遺伝子の持ち主のようで、必ずしも悪人を食べるという訳ではないようだ。


さて、天台宗では烏枢沙摩明王が金剛夜叉明王の代わりに北方を司る。烏枢沙摩明王は、密教における明王の一尊である。サンスクリットではUcchuṣma=ウッチュシュマと呼ばれる。アグニ、つまり火天と同神格であり、「この世の一切の汚れを焼き尽くす」力を持つ。その力からトイレの神様として崇拝されている。


「不浄潔金剛」や「火頭金剛」とも呼ばれた。日蓮宗では「烏蒭沙摩明王」の表記を用いる。火神・厠の神として信仰される。


『大威力烏枢瑟摩明王経』などの密教経典にも説かれている。


『穢跡金剛霊要門』に曰く、釈尊が涅槃に入ろうとした時、諸大衆諸天鬼神が集まり悲嘆している中、蠡髻梵王のみが天女との遊びにふけっていた。そこで大衆が神仙を使って彼を呼んだが、慢心を起こした蠡髻梵王は汚物で城壁を作っていたので近づくことが出来なかった。そこで釈尊は神力を使って不壊金剛を出現させた。金剛は汚物をたちまちに大地と変えて蠡髻梵王を引き連れてきた。そこで大衆は大力士と讃えた。


不浄を浄化するとして、密教や禅宗等の寺院では便所に祀られることが多い。伊豆の明徳寺では、下半身の病に効験があるとされ信仰されている。


また、この明王は胎内にいる女児を男児に変化させる(変成男子)力を持っていると言われ、男児の欲しい武家に信仰された。このことは軍荼利明王と仏格の混同があると思われる。両者ともに蛇が手足に絡みつき、ガネーシャを踏み付けているのだ。烏枢瑟摩明王もシャクティ、つまり女神起源なのだろうか?変成男子させる力の伝承から見るに8歳龍女つまりシャクティ起源である。そして、クンダリーニの暗喩と考えれば火、ないしは雷と例えられてもおかしくはない。この力は不浄な修行者に作用すると、致命的なことになると言われている。高熱を発祥したり、雷に打たれたようになり気絶してしまう。ヨーガ修行者は菜食など体内から浄化し、戒を守り心身を清浄にしておく必要があるわけだ。


トイレの神様と言えば、トイレで寝泊まりしていた釈迦の子が思い浮かぶ。羅睺羅(ラフラ)のことであるが、羅睺羅の章では彼が異形であるためにトイレにこもっていた、という説を挙げた。もう一つ、トイレの神が変成男子するということはラフラが実は女性であったという説も考えられるのである。つまり、釈迦の出家の原因が、世継ぎが女の子として生まれてしまったということ。


さて本来の趣旨に戻り、爬虫類人種説から見た時に火の神である烏枢沙摩明王=アグニは何を意味するのか?おそらくはレプタリアンが始めて「火」を使い始めたことを意味するのではなかろうか?不浄な腐肉などを喰らう古代のある恐竜の種族、例えばトロオドンなどの知性が発達した竜が、おそらくは落雷などで火のついた倒木などから火の使いかたを覚えた。超古代、彼らは肉を焼き、調理を始めたのである。ヴァジュラ(雷)とアグニ(火)には因果関係がある。そして、この火を使う竜種から、火を吐く竜などのアーキタイプ(元型)が生じた。


北は闇の最も深い方角である。北の闇と寒さに対して、火を使うレプタリアンを配置したに違いない。彼らは人類に火を使う知恵を与え(プロメテウス)…人類を保護していたのだ!


画像は国宝の烏枢瑟摩明王像(京都国立博物館)。なぜか蛇が絡みついて軍荼利明王に似ている。台密のものであるらしい。

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軍荼利明王と竜女

軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)は、宝生如来の教令輪身とされる尊格である。様々な障碍を除くとされ、五大明王の一尊としては南方に配される。

胎蔵界曼荼羅おいては、軍荼利明王として、金剛界曼荼羅においては、甘露軍荼利菩薩、金剛軍荼利菩薩、蓮華軍荼利菩薩がいる。これを三部軍荼利と呼ぶが、軍荼利明王に該当するのは甘露軍荼利菩薩、サンスクリット語いうアムリタ・クンダリンである。アムリタとは、不死の霊薬のこと、クンダリンは水瓶、あるいは、とぐろを巻いた蛇のこと。


真言はオンアミリティウンハッタ。


軍荼利明王はその名や仏像の形とおりに、あのクンダリニーという「火の蛇」の力を指しているように思える。しかし、その一方で水瓶、つまりアムリタを満たした水瓶を暗示している。蛇とアムリタの間にはいったいどんな因縁が潜んでいるのだろうか?真言はアムリタを暗示しているが…。


甘露に関する仏はかなり多い。まず、阿弥陀如来の真言はオン・アミリタ・テイゼイカラウンである。アミリタというサンスクリットはもちろんアムリタ=甘露のこと。


また馬頭観音はオンアミリタドハバウンハッタ。馬頭観音さまも甘露尊なわけだ。さらに勢至菩薩に至っては頭に水瓶があるわけである。観音さまの頭には小さな阿弥陀仏が直接いて、それが見分けるポイントになっている。最近は医学が発達していて、脳の器官についても研究されているが、馬頭は海馬に、螺髪は松ぼっくりそっくりなので松果体に似ている。医学的にはこの甘露、アムリタは海馬や松果体周辺から分泌される脳内物質の一種とも考えられる。つまり、水瓶(クンダリン)とはカパーラ(頭蓋骨)のことなのではあるまいか?ヨーガの技法により、甘露アムリタは発生する。


そもそもアムリタはヴィシュヌ神が作ろうと思いたち、デーヴァとアスラを総動員したわけである。作り方は曼荼羅山という半球状の山にヴァースキ竜王というナーガを巻き、綱引きするというものだ。半球状の山、つまりは曼荼羅山はカパーラ(頭蓋骨)の暗喩なのである。そして、おそらくはデーヴァは静かな呼吸、アスラは荒い呼吸であり、ヴァースキはナーディを流れるプラーナを暗示している。静寂な呼吸と激しい呼吸…この特殊なある呼吸法により頭蓋骨(水瓶)の中はアムリタで満たされる。その呼吸法についてはここには記さないでおく。また、書く機会があるかもしれない。


その後、アムリタに関する神話にラーフラの話しがある。アムリタを獲得したヴィシュヌ神や神々は宴会を開いた。その隙にアスラのラーフがアムリタを盗み飲んだが、ヴィシュヌがそれを見つけて武器チャクラムを放った。チャクラムにより首をはねられたラーフラだが、すでにアムリタにより不死になっていたため永劫に星空を巡るハメになる。日食や月食もラーフラが太陽と月を食べようとして起こるという。この神話から多くのことが読みとれる。ラーフラは貪欲の意味合いがある。チャクラムが首をはねた時、チャクラは喉に位置している。おさらくは喉のヴィシュダチャクラが関係しているのだ。ヴィシュダチャクラによりおそらく貪欲=食欲が止まる。このチャクラの目覚めがアムリタをカパーラに満たす時に重要なものになる。


ところで、実は軍荼利明王と関係あるのが、法華経の変成男子する竜女の話し。彼女は珠を釈尊に渡した。この竜女はおそらくシャクティである。クンダリニーは、耳環、腕環、螺旋、巻き毛などを意味するサンスクリット語クンダラ(kuṇḍala)の派生語クンダリン(kuṇḍalin、「螺旋を有するもの」の意)の女性形主格である。


ヨーガのクンダリニー女神は元は非アーリヤ系の不可触民に起源をもつ女神であったという説がある。チャンダリーないしはマタンギと呼ばれる女性たちである。ヨーガのクンダリニーの起源であるこの女神が仏教に取り入れられて、日本に伝わる途上の中国で性転換させられて女神から男尊の軍荼利明王になった。つまりは、変成男子である。クンダリニーは竜女なのだ。


レプティリアン説から考えれば、珠を釈尊に渡すのは彼らの血を取り込んだアーリア女性が卵を釈尊に渡すわけである。レプティリアンの血を取り込んだドラヴィダ人女性たちについては降三世明王の章を参照。

なお、提婆達多品において提婆達多が出てくるのは彼のした罪が「仏身から血を流させる…出仏身血」」「教団から分派を率いて独立する…破和合僧」つまり、彼らアーリアン(レプティリアン)の血脈が別れて独立したことを表している。提婆達多はおそらくはこのことを示す標識としてのみ登場する。本家に対して分家がいるということ。レプティリアンの分家の子孫がシャカ族なのではあるまいか?


軍荼利明王は、疫病をもたらす象頭の神、毘那夜迦(ガネーシャ)を調伏するとされている。シャクティがその息子に強いのは当たり前である。


憶測でしかないが、ガネーシャはシヴァの息子だが、ラーフラと同じく首をはねられた神格である。ヴィシュダチャクラと何らかの関係があるのかもしれない。龍神ラーフラはまた、釈尊の息子の名前と同じでもある。奇妙な共通点がここにある。


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降三世明王と血脈戦争

降三世明王はとあるアスラの兄弟にその起源がある。シュンバ (Śumbha)、ニシュンバ (Niśumbha) というアスラの兄弟である。

降三世明王はシュンバであり、勝三世明王は二シュンバである。三世とは時間、即ちシヴァ神のことであり、「三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者」の意味。降三世はサンスクリット語で、トライローキヤ・ヴィジャヤ(三界の勝利者 Trailokyavijaya)という。

経典によっては、孫婆明王(そんばみょうおう)や十忿怒尊の内のシュンバ・ラージャ (Śumbharāja)という異名もある。


古代インド神話においては、兄弟の阿修羅王である。アスラ神族の兄弟シュンバとニシュンバは、かつて神々の最終兵器である女神ドゥルガーに倒された、阿修羅王マヒシャの弔い合戦として戦争を起こし三界をアスラ族の元へ奪還した。因みに、マヒシャは仏教化して大威徳明王となる。


ある時、ガンジス河でアムビカーという娘に出会い惚れたアスラ族のチャンダとムンダだったが、部下との婚約を、了承させるべく説得に来たシュンバにアムビカーは「戦いにおいて自分に打ち勝った者だけが私の夫になる資格がある」と告げ、自らの正体が女神ドゥルガーであることを明かした。かつて阿修羅王マヒシャを倒したのは、他でもない、ドゥルガーだった。


かくして戦争が始まった。序盤戦ではシュンバ・ニシュンバの軍勢はデーヴァ神族を圧倒した。しかし、ドゥルガーが戦場においてシュンバの部下、チャンダとムンダと戦った際、彼女の怒りから殺戮の女神カーリーが生まれて二人を倒した。黒色の女神カーリーの誕生で戦況は一変する。


しかし、シュンバの部下にはさらに強力な阿修羅ラクタヴィージャがいた。彼は血から自らの分身を作る能力を有していた。カーリーに傷つけられると流れた血から数多の分身の魔神を作った。さしものカーリーも苦戦した。そこで、カーリーは血の魔神達を全て飲み込み、ラクタヴィージャの血も飲み尽くして彼を絶命させた。吸血鬼の始祖であるカーリーの伝承はこの神話から生まれた。血を飲む時に舌を長く出したポーズは特に有名であり数多の神像に見られる。


ドゥルガーはその勢いで8つの分身マトリカスを率いてニシュンバを倒した。しかし強力なシュンバとの戦いにおいて戦いは膠着した。戦いを見ていて痺れをきらした他の神々、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ、インドラが加勢、さしものシュンバも多勢に無勢、ようやくシュンバは倒されたのだった。


仏教の説話では、勝利者が逆になる。仏の教えに従わないシヴァと、パールヴァティー(ドゥルガー)に対して金剛薩埵は、真言を用いてシュンバに変身。シヴァとパールヴァティーを踏み殺した。そしてすぐさま生き返らせたので、シヴァとパールヴァティーは仏の教えに帰依したという。シュンバから孫婆明王(そんばみょうおう)や、後期密教の十忿怒尊のシュンバ・ラージャ (Śumbharāja)などの尊格が生まれた。


これら神話からは多くのことが読み取れる。

降三世(シュンバ)明王は三界の支配者のシヴァを踏み付けるのだから、時間(シヴァ)の克服者であろう。降三世明王の仏像はシヴァとパールヴァティーを踏み付けているが、踏み付けているものがインドの神像だと、降三世の位置にそのままパールヴァティー(カーリー)がスライドしている。どちらにせよ、シヴァは踏み付けられているのだ。


時間の克服は、おそらく寿命のことを言っている。それが恐竜という種しての寿命だとすると、2億5千万年から6500万年までの約2億年。横たわったシヴァ(時間)は長い時間を表しているのだ。彼らレプティリアンの不死性を表している。


注目すべきはラクタヴィージャである。彼の血からは数多の分身の魔神が誕生したが、これはラクタヴィージャの種族の子孫が繁栄したということだろう。個体としての寿命ではなく、種族の寿命。血は、かのアスラのDNAを顕れである。DNAは種族に受け継がれ分散し増える…しかし、その種族にしてもカーリーに喰われてしまう。


カーリーはその血を全て飲み干してしまうのだ。これは何を表しているのか?ここでカーリーが女性であることに注目したい。ラクタヴィージャがイラン系のアーリア民族だとすれば、非征服民族のドラヴィダ系の女性たちと婚姻関係を結ぶだろう。カーリーの怒りの形相は、性的に、或いは子孫を出産するために利用された非征服民族の女性の怒りを象徴しているのかもしれない。おそらく非征服民族の男性は全て殺されたのだろう。これは、死んだように横たわるシヴァからも推測できる。民族浄化などのジェノサイドは旧約聖書やナチス、共産主義などのレプティリアン起源の文化にはよく見られる。しかし、血を飲むカーリーからは、寧ろ逆にアーリア人を食らってやったというような民族的矜持が見てとれる。


仏教神話での降三世明王はシヴァとパールバティー(カーリー)を踏み殺した後に、即座に再生させている。降三世明王には「よみがえらせる」というスキルを持っていることがわかる。一度死んだもの(種族)をよみがえらせるのだ。つまり、降三世(シュンバ)明王に表されるアーリア人種は、一度ドラヴィダ人種を滅ぼしている。仏教説話は一度滅びた種族の復活を仄めかしている。アーリア人サイドからの弁明と言おうか、我々の民族の支配下でドラヴィダ人は生きている、と言いたいのかもしれない。それでも、アーリア人による民族浄化があったに違いない。その後、アーリア人種は祭祀であるバラモン社会を頂点とするカースト制を作り上げ、下層階級に混血ドラヴィダ人を組み込んだ。この手の儀礼と階級を重視する傾向は、レプティリアンによく見られる。フリーメイソンとそっくりな構造である。


問題はカーリーとの混血化を進めたために、アーリア人種の中に存在していたレプティリアンとの混血が増えてしまったことだ。これは純血を重んじる爬虫類種にとっては問題だった。ゾロアスター教で近親婚が推奨されたのは、アーリア人種にレプティリアンが潜んでいたことを意味する。ゾロアスター教では近親婚が推奨されていたというが、近親婚や一族同士の相互婚姻により血筋を維持している家系ネットワークがある。


「血は魂の通貨」とも言われているが、ラクタヴィージャはそれを体現している。血を媒介にして自らの意識を伝えていくことを表しているのかもしれない。レプティリアンは自らの血族に転生すると言われている。つまり、彼らの本体は亜空間にいる知性であり、肉体はこの重い物質次元の作業服のようなイメージである。宇宙服を着る宇宙飛行士のように、彼らは肉体を着て、ある目的のためにこの次元で活動する。なぜ血族に転生するかといえば、血が繋がったもの、DNAが同じだと意識が馴染みやすい、と推測される。また、血族ならば肝心の知識体系も先祖から受け継がれるからだ。


同じ原理のものに呪術でいう「転生の秘儀」がある。この秘術を用いているのがダライ・ラマ法王だが、転生仏は時間(シヴァ)を克服したと言えなくもない。


ほとんど言及されていない二シュンバだが、二シュンバとシュンバの兄弟神ないしは双子神の正体を、ダブルだとすれば納得できる。二シュンバは肉体であり、強力なシュンバは彼の霊体、ダブル。仙道でいう陽神であるとしたらどうだろうか?チベット密教でいうタルパの秘術である。降三世は時間、つまり寿命の克服と関係のある仏尊である。


カーリー(ドラヴィダ人)との混血化は肉体である二シュンバを殺害した。肉体が死んでも亜空間にいるであるシュンバの霊体は死なない。カーリーだけでは二シュンバを倒せない。それは、彼女じしんもレプティリアンの血がいくばくか混じり、いつのまにかその遺伝子的特徴が受け継がれてしまったことによる。これは、爬虫類種にとっては血と知識の流出であろうが、カーリーにとっては彼らを食べて彼らになった、とも言える。


吸血鬼の始祖であるカーリーだが、伝説ではレプティリアンも飲血をする。血を飲むのは、変身した種族の姿を保つためと言われている。人の血を飲む場合は人間の姿を保ち、人型の知能や心理を保つためである。


周梨槃特は大悟後に、自らの姿を変えて見せたと言われているが、また、周梨槃特が人としての知能を保っていなかった伝承。彼らの血族である可能性がある。


カーリーの長い舌はいったい何を表しているのだろうか?カーリーと同じく、仏の舌も長広舌と言われ、舌相が梵天の世界に届くほど長いと言われた。蛇やトカゲのように長い舌。アオジタトカゲやカメレオンの舌はやはり長い。しかし、現在の研究では、恐竜の舌骨は短く、複雑な動きはできなかったとされている。ワニの舌に近いと言われている。ワニの舌はあまり動きはしないが、かなり巨大なものだ。一部のグルメではワニ料理が流行っているようだが、一番人気は牛タンならぬワニタンである。かなりのボリュームがある。恐竜の口は下向きなので、ダランと舌を垂らしていたとしても不思議ではない。カーリーの侍女である羅刹女たちは牙が特徴的であり、爬虫類種であることを示唆している。


ドゥルガーはさらに8つの分身であるマトリカスを生み出している。この女神たちの発音はマトリックスと似通っていておもしろい。




大威徳明王と爬虫類人種

ヤマーンタカ 


大威徳明王について。三輪身説によれば、大威徳明王は阿弥陀如来(自性輪身)、文殊菩薩(正法輪身)に対応する教令輪身で、阿弥陀・文殊が人々を教え導くために敢えて恐ろしげな姿をとったものとされる。(阿弥陀如来と、本来釈迦如来の脇侍であるはずの文殊菩薩が一体化しているのは奇妙なことである。大威徳の特性かもしれない)。


梵名のヤマーンタカとは『死神ヤマも降す者』の意味で、降閻魔尊ともよばれる。またヴァジュラバイラヴァ(vajrabhairava 『仏の永遠不壊の叡智を有する畏るべき者』)、ヤマーリ(yamāri 『死神ヤマの敵』)、マヒシャサンヴァラ (mahișasaṃvara 『水牛を押し止める者』)ともいう。三摩耶形は棍棒であるが、タロットの棍棒は火の元素を象徴している。トランプだとクローバーとなる。種字はキリーク。


このヴァジュラバイラヴァのバイラヴァとは、シヴァ神の最も強暴な面「バイラヴァ」のことである。また、マヒシャサンヴァラのマヒシャとは、インド神話で女神ドゥルガーと戦った水牛の姿のアスラ神族の王のことである。


チベット密教最大宗派であるゲルク派では、無上瑜伽タントラの主要な五タントラの一つとして『ヴァジュラバイラヴァ』のテキストを取り上げてその重要な本尊と位置づけている。ヴァジュラバイラヴァは、ゲルク派において、宗祖ツォンカパ大師の守護尊(イダム)であるため、重要視されている。ヤマーンタカ=ヴァジュラバイラヴァは、おもに、青黒肌で水牛の忿怒相を中心とする九面、三十四臂、十六足の多面多臂多脚で、手にカルトリ刀、頭蓋骨杯、梵天の首、串刺しの人間を持っている。また、妃ヴァジュラヴェーターリーと交合するヤブユム尊もある。 


チベットの伝説では、昔、ある修行僧が悟りを開く直前に盗賊に襲われ、乗っていた水牛と共に首をはねられて殺された。悟りを邪魔された修行僧の怒りは凄まじく、側に落ちていた水牛の首を拾って自分の胴体に繋げ、盗賊達を皆殺しにした。しかし、その後関係のない人々をも無差別に殺す悪魔に成り果ててしまった。これに困った人々は文殊菩薩に祈願したところ、文殊菩薩はその悪魔と同じような牛面で、しかも悪魔以上の手足と武器をもった姿に変化して戦い、ついに悪魔を倒した。この時の文殊菩薩の御姿が大威徳明王(ヤマーンタカ)なのである。


しかし、なぜヤマーンタカは頭が水牛なのだろうか?水牛は怒り出すと極めて危険な存在になるらしく、虎などもこれを避けると言われている。さらに、牛頭=トリケラトプス説を加味してみると、爬虫類人種の特徴を明王部が表しているである。鬼子母神もそうなのだが仏教に帰依した仏尊は普通は角が取れて表現される、しかしヤマーンタカの角は水牛のままである。つまり、よほど『角』の特徴を伝えたかったのではないか?タンカのヤマーンタカを見るに、広げた腕がビビッドな『翼』のように見えなくもない。カラフルな羽毛は羽毛恐竜の特徴でもある。


明王部はアスラだらけで、インド密教がゾロアスター教(拝火教)を取り込んでヒンズーに対抗していたのがわかる。アスラ神族は爬虫類的特徴が極めて多い。マヒシャだけでなく、インドラのライバルであるヴリトラも巨大な龍の姿をしていたと伝えられている。


日本では、大威徳明王は六面六臂六脚で、神の使いである水牛にまたがっている姿で表現されるのが一般的である。


6つの顔や腕は六道(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界)にそれぞれ対応しており、6本の足は六波羅密(布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧)に対応しているようだ。以前、死にそうになった時に思ったのが、己の魂生の六道輪廻は同時に連動しており、人間界や天界の寿命を伸ばそうとも、同時に地獄や餓鬼、畜生の寿命も伸びてしまうように六道はリンクしてるんじゃないのか?ということ。夭折は不幸だが、同時に地獄の刑期が終わったと思えば幸福である。後で勉強し直したら、十界互具という天台の教説がその思考にかなり似ていた。大威徳はこれら六道の互具をパラレルに見渡すことができる。同時に見渡すわけである。とすれば、人は人間界で死んで時間の経過と共に、天界や地獄に赴くわけでなく、六道の現象は全て同時に起こっているのである。この時間の経過を否定した考え方を「即」という。般若心経の「即」である。


この時間の経過を否定した「即」だが、明王部では降三世明王に最も色濃く反映されていると思う。


降三世明王はヒンズーの最高神のシヴァ神を踏み殺し、すぐさま再生させたという。シヴァの本質は「時間(カーラ)」なので、時間の経過の否定と超越を表した象徴的神話だと思われる。また、時間性の否定の本来の意味ではないが、不老不死も時間の超越と捉えられていた節がある。


爬虫類人種の寿命が特別長かったのならば、その不死性を降三世明王は表現しているのかもしれない。降三世と勝三世が兄弟神であるところにもそれを感じる。それは、またあとで話すとしよう。以下は五大明王の爬虫類人種的特性である。


東方 降三世明王 『寿命』

南方 軍荼利明王 クンダリニー『蛇の尾』

西方 大威徳明王 牛頭、トリケラ『角』

北方 金剛夜叉明王 『牙』

中央 不動明王 『倶利伽羅龍』

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