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舎利鳥

舎利子(しゃりし)、または、舎利弗(しゃりほつ)と呼ばれている人のことは、仏教徒ならば誰もが知っているだろう。釈迦の十大弟子の一人である。釈迦の弟子中において、智慧第一と称された。目連(モッガラーナ)と共に外道の師サンジャヤから釈尊に帰依した。


サンスクリット語ではŚāriputra シャーリプトラ。パーリ語ではSāriputta サーリプッタ。


舎利子の舎利(しゃり・シャーリ・サーリ)は母親の名前がシャーリーであることから。サンスクリット語で息子を意味するプトラは、梵語の発音がそのまま中国語の仏を意味するので、舎利佛(しゃりふ)と阿弥陀経などの大乗妙典では表されている。般若心経では元の意味を尊重し舎利子(しゃりし)と表される。「シャーリーの子」の意。


「シャーリー」は、とあるインドの鳥を意味し、「鶖鷺」などと漢訳されるが、いずれの鳥であるかは判然としない。鷺や烏や九官鳥とも推測されるが、どのような鳥であるかは全く不明なのである。ただ、色は黒く、人の言葉を理解し、暗唱する類の鳥であるらしい。釈尊の言葉の記憶役である舎利弗というウィットに富んだ意味であろうか?


また、舎利(シャーリー)は阿弥陀経の浄土の六鳥のうちの一つである。


『また次に、舎利弗、かの国には常に種種の奇妙雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの衆鳥、昼夜六時に和雅の声を出だす。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この声を聞き已りて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。』『仏説阿弥陀経』


阿弥陀経に描写されている極楽には、何故かこのように「鳥」がたくさん出てくる。当の舎利弗が極楽になぜ六道中の畜生の「鳥」が出てくるのか?と問うが、お釈迦さまは、これらの鳥は阿弥陀さまの創った法(概念)、つまり実際の鳥でなく、何らかのメタファーだ、と答えるのである。


緊那羅(キンナラ)とも呼ばれる「鳥」に似たものが、オルニソスケリダ類から派生した爬虫類人種だというのが、ここで何回も強調している説である。


トロオドン、プシッタコサウルス、オルニトミムス、コリトラプトルなど、鳥の先祖たちが、「極楽」における「鳥」なのではなかろうか?


何故なら、阿弥陀如来は過去仏であるから。そもそも西方とはインドのヨガの太陽礼拝からすれば後方、背面に位置する。毎朝のヨガで東に向くならば、西…背面はすなわち過去である。西方に十万億土とは、測りきれないほど久遠の昔、というメタファーなのだ。すなわち、数億年前の地球を示唆しているのではあるまいか?法華経の如来寿量品における久遠仏である釈迦は、阿弥陀如来とも言われている。自我偈における霊山浄土の描写は、極めて阿弥陀経の極楽浄土の描写に似通っているのである。


3億年前に爬虫類が出現し、2億5千万年ほど前に恐竜が出現した。これらの恐竜は羽毛恐竜なので、先の阿弥陀経のメタファーの対象である。そして、1億5千万年前に鳥類が出現する。


どうも、お釈迦さまは、地球史において数億年も太古の「鳥」に似たものたちを意識しているようなのだ。もちろん、この「鳥」に似たものは「竜」でもあり「蛇」でもあり、「牛」でもある。哺乳類しか知らなければキメラ、または「鵺」と表現するしかないものだ。しかし、仏教では「鳥」として意識されることが多い。ヒンズーでは「牛」として認識されることが多くなる。ユダヤ教キリスト教では「蛇」とされる。


そして、舎利子…「シャーリーの子」なる呼びかけは、かなりの経典に見られるが、恐らくは「彼ら」に呼びかけているのだ。今の「人道」の世界すらなかったころ、地球を支配していた、彼ら「人間ではないもの」の裔に。シャーリーと言われる「彼ら」の裔、子孫という意味が、舎利子なる名前には込められている。知能あるシャーリーは人語を解する「鳥のようなもの」である。そして、恐らくは、釈尊じしんの同胞として呼びかけているのだ。


釈尊じしんが「彼ら」の裔であるという根拠については、次頁に述べる。


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霊鷲山

霊鷲山


鷲の頭の形をしたこの山は、霊山浄土として崇拝されてきた。釈尊が法を説きたもうた場所として今も崇敬の念を集めている。


我々仏教徒にとって、その山は何故、鷲の頭の形をしているのか?と、問うことはあまりしないかもしれないが、ここで一度考えてみたい。何故、鷲の頭なのか?


霊鷲山、または耆闍崛山と呼ばれた山は、現在のラージギルの東方、北緯25度 東経85度にある。現在はチャタ(Chata)山と呼ばれている。


法華経のあまりに有名な始まりには、こうある。


如是我聞。一時。仏住。王舎城。耆闍崛山中。


耆闍崛山の読みは「ぎじゃくっせん」である。パーリ語ではGijjhakūṭa(ギッジャクータ)。


パーリ語のギッジャとはハゲワシのことである。この山のかたちが、空に斜めに突き出すようになっておりしかも頂上部がわずかに平らになっていてハゲワシの頭によく似た形をしているから、こう名づけられたと言われている。


「鳥」に似たものが、緊那羅、オルニソスケリダ類から派生した爬虫類人種だと、一貫して説いてきたが、おそらくは「彼ら」の頭を模している可能性が高い。中東はエジプトでも、主神はホルス…「鷹頭の神」である。霊鷲山も、おそらくは釈尊の本当の頭を模しているのではないか?と思われる。


プシッタコサウルスという、ハゲワシに似た恐竜がいる。名前の由来は、オウムのような嘴があることから、Psittacus=オウム、sauros=トカゲ、つまりオウム竜ということになる。この吻骨と呼ばれる嘴は、すり減ると爪のように生えてくるものである。プシッタコサウルスはトリケラトプス等の角竜の祖先と言われる。


化石は銀杏のある地域に集中して見られ、銀杏を好んで食べていたという説がある。群れで集団生活を送っていたことがわかっている。まるでサンガではないか?


また、オルニトミムスという恐竜がいる。オルニトミムスの学名の意味は「鳥もどき」。この恐竜も嘴を持っており、嘴で卵を割って食べていたとされる。ダチョウに非常に似ていて、同じくらいの速度で走っていたという。頭蓋骨の容量から、脳が大きく、知能はとても高かったと推測される。


特筆すべきは、オルニトミムスも前述のプシッタコサウルスも羽毛恐竜であるということ。そして、「嘴」を持っていて、ハゲワシに似た頭部を持っていたことである。


その他、トリケラトプスやコリトラプトルなど、頭に角やトサカが生えているが「嘴」という特徴のある恐竜は非常に多いのである。


彼ら「鳥」のような者は、進化して爬虫類人種となった。それが、霊鷲…キンナラやガルーダのモデルとなったものではなかろうか?


下の画像はプシッタコサウルスの切手。ハゲワシにそっくりである。

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鳥居

鳥居…我々、日本人に馴染み深いこの意匠は神社において神域と俗世間との境界におかれた結界であり、神域への入口、「門」である。非常に古い時代には、木と木を縄で結んだだけのものだったらしい。「皇太神宮儀式帳」では、「於不葦御門(うへふかずのみかど)」と呼ばれ、屋根の無い門とされた。「鳥」が天に飛び立つには屋根は邪魔である。奈良時代から現在の鳥居の形が確立された。冠木門のような形に、笠木が上部にある。反りの入った笠木の部分が「鳥の翼」で、下の大貫に止まっているように見える。


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鳥居は、鶏の止まり木を意味する「鶏居」を語源としている。天照大御神を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源である。


いずれにせよ、そこには「鳥」がいたのだ。鳥居は「鳥の止まり木」である。


鳥居に合わせた「木彫りの鳥」は弥生時代の遺蹟である池上・曽根遺跡や纒向遺跡で見つかっている。他にも多くの遺蹟で見つかっている。


「鳥」に似たものが、蛇やトカゲを巨大化させたような、あの恐竜であるとしたら、驚かれるだろうか?鳥はオルニソスケリダという種類の恐竜の子孫である。いや、学術的には恐竜そのものとして扱われる。


「鳥」とは果たして何であろうか?


ラッセルの仮説におけるディノサウロイドはトロオドンをモデルとしたレプティリアン(爬虫類人種)である。彼らの言語は、ある種の鳥の鳴き声のようなものだという。まさしく、「常世の長鳴鳥」ではないか?


鷲谷日顕によれば、日本人の先祖は太古にインドから飛来した有翼種のキンナラ族だという。キンナラが「鳥」なのだ。キンナラの住居が「鳥居」なのである。


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現在の雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族(中国ではハニ族)の「精霊の門」では、上に木彫りらしき鳥が置かれる。


インドの「トーラナ」や、中国の「華表」も鳥居に極めて似ているが、語源の意味も含めてみれば、日本のものと、ビルマのアカ族のものがやはり特別である。鳥の神、もしくは鳥の精霊の止まり木とされたのだ。ひょっとしたら、アカ族もハプログループDの遺伝子を持つのかもしれない。原アーリア人はアフリカの角からイラン付近へ、さらにアルタイ山脈へ、チベットからビルマを通って長江流域、そして日本へ…そのようなルートを通って、原アーリア民族と「その主人」はやってきた。「鳥」に関する文化と共に。



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鬼子母神と十羅刹女

チベット起源の羅刹女


「十羅刹女と申すは10人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。また十羅刹女の母なり、鬼子母神これなり」(日蓮大聖人御書『日女御前御返事』 より抜粋)


十羅刹女

法華経陀羅尼品に登場する10柱の女性の鬼神、羅刹女、夜叉女。鬼子母神と共に日蓮宗では信仰の対象である。他に孔雀経の七十二羅刹女などが有名である。


この十羅刹女の名称に、爬虫類人種(レプティリアン)に見られる特徴が顕著に見られる。特に、鳩摩羅什訳の名称である。


爬虫類人種の特徴とは、天蓋、角、尾、翼、嘴、牙などである。こうして並べてみると宿曜に同じ名前の宿が多いのに気づく。何か関係があるかもしれない。角宿、尾宿、翼宿、嘴宿。先の元三大師には角と天蓋の特徴が顕れていたが、十羅刹女の場合「牙」である。


「曲歯」、「華歯」、「黒歯」など歯牙の形状により名称が付けられている。よっぽど歯牙が目立っていないとそうは名付けられない。


以下は十羅刹女の名称だが、鳩摩羅什訳が左から、玄奘訳が右である。


1 藍婆(らんば)/有結縛(うけちばく)

梵ラムバー 

衆生を束縛し殺害するので名づく。本地は上行菩薩。


蛇身もしくは尾で獲物を締めるのでそう呼ばれたのではなかろうか?

2 毘藍婆(びらんば)/離結(りけち)、梵ヴィランバー 

衆生の和合を離脫せしめんとするので名づく。龍王の如く円満月なり、大海に向かうが如し。右手に風雲、左手に念珠を持つ。衣食は碧録。面色は白く、前に鏡台を立てている。本地は無辺行菩薩。


龍王の如く円満月なり、との文が「龍」をそのまま表しているが、獲物を狩る時に群れからターゲットを離脫させて、1人になったところを狩るのだろう。

3 曲歯(こくし)/施積(せしゃく)

梵クータ・ダンティー 

歯牙が上下に曲がり甚だ畏怖すべきゆえに名づく。本地は浄行菩薩。


いよいよ、レプティリアンの牙についての説明である。歯牙が上下に曲がっている。ラプターのの系統と思われる。

4 華歯(けし)/施華(せけ)

梵プシュパ・ダンティー 

歯牙が上下に鮮明に並んでいるため名づく。本地は安立行菩薩。


やはり、鮫や鰐と同じく頻繁に歯は生え変わっていただろう。仏の三十二相にも似たものがあり。

5 黒歯(こくし)/施黒(せこく)

梵マクタ・ダンティー 

歯牙が黒く畏怖すべきゆえに名づく。本地は釈迦如來。


化石の中には、牙が黒いものが多いが、その場合は地中のマンガンによるものである。普段から歯が黒いとなると、バクテリアによるものか、蟲歯だったのかもしれない。なお、恐竜の中には歯から毒液を分泌するものがいる。毒液が黒かったら黒歯と呼ばれるかもしれない。

6 多髪(たはつ)/被髪(ひほつ)、梵ケーシニー 髪の毛が多いので名づく。本地は普賢菩薩。


羽毛恐竜であることを表している。

7 無厭足(むえんぞく)/無著(むぢゃく)

梵ラークシャシャ・チャラー 

衆生を殺害しても厭わない、飽き足らないことから名づく。本地は文殊師利菩薩。

8 持瓔珞(じようらく)/持華(じけ)

梵マーラー・ダーリー 

手に瓔珞を持つため名づく。本地は観世音菩薩。

9 皇諦(こうだい)/何所(かしょ)

梵クンティー 

天上と人間の世界を自在に往来するゆえに名づく。法華十羅刹女法には、膝を立てて座り、右手に裳(も)、左手に独鈷を持つ。本地は弥勒菩薩。

10 奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうげ)/取一切精(しゅいっさいしょう)

梵サルヴァ・サットヴァ・オージョーハーリー 

一切の衆生の精気を奪うため名づく。本地は多宝如来。


法華経では、これら十羅刹女と鬼子母神が法華経を所持し伝える者を守護することを誓っているとされる。


さて、彼女たちの母である鬼子母神だが、恐竜、爬虫類人種の同種族と見るべきだろう。「また十羅刹女の母なり、鬼子母神これなり」と日蓮大聖人御書にはある。気をつけて見るべきは彼女たちはトリケラトプスとは違い、肉食であるということだ。遺伝子的特徴の多くは同じであろうと思われるが、鬼子母神には、鬼というだけあって牙の他に角があるのではなかろうか?しかし、日蓮宗では鬼の角を取った特殊な漢字を使うのでたる。ひょっとしたら肉食恐竜なので角はないのかもしれない。


さて、鬼子母神についての説明に移ろう。


鬼子母神(サンスクリット語: हारीती、Hārītī、 ハーリーティー)は、仏教を守護するとされる夜叉で女神ヤクシニーの一尊。梵字の発音の当て字で訶梨帝母(かりていも)とも言う。三昧耶形は吉祥果。種字はウーン。サンスクリット語のharitaは英語のgreenなので、緑色、青緑色という意味がある。狩りのための保護色だろうか?偶然にも画像のチベット伝説の巨大な羅刹女も緑色のように見える。



毘沙門天(クーベラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母であったが、これらの子を産む栄養をつけるため、または子のエサとして人間の子を捕獲して食べていたため、人間に恐れられていた。鬼子母神は、法華経において十羅刹女と共に法華信仰者を妨げる者を処罰することを誓っている。


毘沙門天(クーベラ)の部下の夜叉パーンチカの妻とされているが、クーベラは鰐の神であり、先の緊那羅もクーベラ神の宮廷で音楽を奏でているところを見れば、肉食恐竜の王であることは確かだろう。クーベラ神はティラノサウルスなのかもしれない。


それからの神話は有名すぎるほど有名である。彼女が最も愛していた末子のピンガラ(嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦)を乞食行に用いる鉢に隠した。彼女は狂乱し、世界中を探し回ったが発見できず、釈迦にすがった。


釈迦は、子を失う親の苦しみを諭し、戒を受け、人間を食べなければピンガラを返すと約束した。ハーリティが承諾し、仏に帰依すると、釈迦は隠していたピンガラを戻した。すると、彼女は仏法の守護神となり、子授け、安産、子育ての神として祀られた。この伝承は日蓮宗を始めとする多くの仏教宗派に広まっている。


さて、ここで、隠された子の名前に注目してみよう。お釈迦様に隠された鬼の子の名前はピンガラである。ピンガラはサンスクリット語で意味は太陽である。つまり、お釈迦様は太陽を隠した、と解釈できる。太陽を隠された全ての鬼神の母は、半狂乱になった。ここでは爬虫類、恐竜種の種族として、半狂乱となったと考えるべきだ。太陽を乞食用の鉢で隠したということは、この太陽が隠される現象、日食かもしくは別の原因かもしれないが、太陽は地上から遮られたようだ。この「蝕」により鬼族、つまり肉食系レプティリアンは子孫が途絶える事態に陥ったのかもしれない。子を隠されたことにより、戒を授かり肉食をやめたとあるが、ひょっとしたら、太陽を隠され、かの種族が肉食できない事態、もしくは子孫の残せない事態に陥ったのかもしれない。太陽が隠されたという神話は、日本神話の天照大神の岩戸隠れや、インド神話のアムリタを盗み飲んだ龍ラフラの神話にも見られる。アステカ神話のケツァルコアトル(翼ある蛇!)と暗闇の神テスカポリトカの太陽の座を巡る戦い。先述したが、皇祖天照大神もオルニソスケリダから派生した爬虫類人種である。龍の種族が、太陽の隠される事態に陥って、それを打開する神話は世界の古代文明に伝わっている。


密教では訶梨帝母法という祈祷法が、安産のために修される。が、種族保存にかけた爬虫類人種の「思い」が伝わってくるようである。


さて、興味深いのはチベット神話である。チベットの国土は横たわる羅刹女と信じられている。7世紀、ソンツェンガンポ王は羅刹女の手・足・肩・肘・膝・臀部にあたる12ヵ所を封印するために寺院を建て、心臓にあたるオータンタプリ湖を埋め立ててチョカン寺(大昭寺)とラモチェ寺(小昭寺)を建立した。この心臓にあたる土地が現在のラサである。後述するが、チョカン寺にはあのアティーシャが訪れている。


チベット人は、この封印された羅刹女と猿の子孫とされる。正確には観音菩薩の化身である雄猿が、羅刹女と交わって六つの種族を生み出した。彼らは外観は猿と変わらないが、尻尾が無くなっていた。この猿人が現在のチベット人の先祖である。父親の性格を受け継いだ子孫は、慈悲深く、豊かな知性と感性を持ち、寡黙な者となった。母親の羅刹女の性格を受け継いだ子孫は顔が赫く、残忍にして好色、頑固な性格となった。


伝説によると、ウー・ツァン地方のツェタン近郊に、この羅刹女と猿の夫妻と子供たちは住んでいた。ツェタンの裏のコンポリ山の洞窟には、猿人たちの住んでいた洞窟がある。十一世紀にチベットを訪れたアティーシャはラサのチョカン寺(大昭寺)の柱の中にある文書を発見した。チベット人羅刹女起源説の証拠が記されていたという。


「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)によるとウー・ツァン地方の人々は微妙に骨格が違うという。


同書から抜粋すると、「現代の人類学者たちは、チベット人はモンゴル人種に属すると主張している。チベット人は何世紀にもわたってモンゴルと密接な関係を保ってきたことからも、この主張はもっともらしくみえる。しかし今日にいたるまでチベット人とモンゴル人の頭蓋骨の比較は行われていない。」


頭蓋骨の比較について同書では批判しているが、時代は急激にその科学技術と共に進歩している。近年、遺伝子情報の比較が行われたのだが、面白いことがわかった。日本人とチベット人はY染色体遺伝子のタイプが、ハプログループDなのだ。ちなみに漢民族や朝鮮民族はハプログループOである。


現在アフリカの角と呼ばれる地域から、ホモ・サピエンスは紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。これが原アーリア人である。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上したのが約6万年前頃。この6万年前に何らかの外的な遺伝子的介入があり、アルタイ山脈からチベット近辺でハプログループDEからハプログループDが誕生した。この6万年前の外的な遺伝子の介入が、おそらくは羅刹女(爬虫類人種)との交配であろうと推測される。ハプログループDのうち、東進して日本列島に至り誕生したのがハプログループD1bであり、アルタイからチベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人つまりハプログループD1aである。つまり、日本人とチベット人は先祖が同じなのである。我々、日本人とチベット人は、共に羅刹女、さらに言えば鬼子母神の子供たちなのだ。



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龍種である元三大師

ここで天皇家が爬虫類人種であるという証人でもあるお方を紹介したい。かなり有名なお方だが、「天皇の子」としては、広く認識されてはいないのではなかろうか?元三大師つまり良源さんのことなのであるが、このお方が「宇田川天皇の子」であれば、文字通り龍種であることになる。中国において龍種という語には、皇帝の子という意味もあるのだから。ここでひとつの参考文献として、谷崎潤一郎の『乳野物語』を推挙したい。元三大師が「宇田川天皇のご落胤」という伝承を元に、谷崎潤一郎の名文を味わうことができる。


良源(延喜12年9月3日~永観3年1月3日)は平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵(じえ)。一般には通称の元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。これは永観3年1月3日に遷化したから、つまり元旦から三日が寂日なので、元三と言うのである。第18代天台座主であり、比叡山延暦寺の中興の祖である。比叡山の僧兵の創始者でもある。


元三大師を象った護符には「角(つの)大師」が有名であろう。奇怪なおどろおどろしいデザインの魔除けの護符だが、広く信仰されている。


角大師

角大師と呼ばれる図像には、2本の角を持ち骨と皮とに痩せさらばえた夜叉の像を表している。『元三大師縁起』の伝承によると、疫病神が良源の前に参上し取り憑くことを告げたところ、小指にのみ憑くことを許した。それでもキツいので弾指により弾き飛ばした。小指でもキツイのだから、巷の衆生は大変であろうと、角のある夜叉の姿に化した自分を僧侶に書き写させたという。それを魔除けの護符として比叡山の麓や京都の民家で貼らせたところ、疫病がこれを避けた。これが角大師信仰の始まりであった。


他に豆大師と言い、紙に33体の豆粒のような大師像を表した護符もある。良源は観音の化身とされ、観音は衆生救済のために33の姿に化身するという「法華経」の説に基づいたものである。「魔滅大師」といい、豆粒のように小さいから豆大師と名付けられたという話は俗説であり正しくはないようだ。確かに観音菩薩の33の化身ならば、それぞれの化身は姿が違って然るべきで、豆のような大師が33人もいる、というのはおかしいのかもしれない。


良源は延喜12年(912)9月3日、

近江国浅井郡虎姫(現在の滋賀県長浜市)に生まれた。父は木津(こず)氏、母は物部氏となっているものの、詳しいことについてはわかっていないので、低い身分の出自という説もある。しかし、ここでは宇田川天皇のご落胤という比叡山に伝わる伝承を採用したいと思う。


『乳野物語』によれば、


 【大師はしばしば宮中に召されたが、いつも御所へ上ることを「帰る帰る」と云つた

  ので、大師が院の落胤であることを世人が誰も知るやうになつた。】


とのことである。また、光圓師によれば公的な文献などはないが、比叡山の僧侶は代々語り継いできたことであるので、皆それを信じて疑わない、とのことだ。


なお、『乳野物語』では、読むお経に「法華殲法」が出てきて「しんけいれい」と光圓師が読む箇所などあり、私も寺の修正会で出仕した際には法華殲法を読ませていただいていたので、1人ほくそ笑んでいた。


小説には横川のことも出てきて、光圓師が案内しているが、とても面白い。小説での見所だが、コカコーラを体験したことのない般若湯(酒)の大好きな光圓師がコークハイを始めて飲んで「悪くないですなぁ」と陶然とするシーンがある。そこから乳野に赴き、元三大師の母である月子姫が妙見菩薩として祀られている箇所に移るのだが、なんでも母に逢いにきた良源さんを、母の乳を吸いにきたのだ、という地元の人たちの悪口が元で、乳野という地名になったそうだ。小説には載っていない余談だが、横川の行院では、飯を食う時には音をいっさい立ててはいけないらしい。しかし、食器が全てプラスチック製でカチカチと音が鳴りやすく、あれはトラップだと修行していたお坊さんが言っていた。


さて、話題を元に戻すと、月子姫が妙見さんとして祀られている処で、私は爬虫類人種と元三大師とのつながりを見るのである。なぜなら、妙見菩薩は龍に乗っているからである。さらに言えば、父は木津…コズ、と読む。牛頭との関連が連想される。


良源は角のある夜叉に変化したというが、おそらくこれは単にシェイプシフトして本来の姿になっただけである。つまり、美男子と伝えられている僧侶の姿が本体ではなく、本体、異形なので、それが爬虫類人種特有の能力により隠れていただけと思われる。良源さんが元来、異相であることは、彼の幼少期、まだ日吉丸(観音丸とも言われていた)であった頃の伝承にも詳しい。


慈慧大僧正傅には

「生レナガラニシテ神霊、室ニ異相多シ」

と記されており、越前守貞行が田で遊ぶ日吉丸の頭に蓮華に似た天蓋が付いているのを見て父の元に送り、汝が子は霊童なり、軽んずるべからず、比叡山に上がらせてよい師に付かせよ、と誡めたらしい。


この越前守貞行の言葉が原因で、日吉丸は12歳の夏に叡山に上がり、西塔宝幢院の日燈上人の房の理仙阿闍梨に仕えることになった。


ここで日吉丸の頭の天蓋について言及したい。「頂キニ天蓋アリ、形蓮華ニ似タリ」とあるのだが、天蓋とは仏像や住職が座っている上に翳される笠状の仏具のことで、もとはインドの貴人(貴族)の日傘のことである。虚無僧がかぶる、深編み笠も天蓋と呼ぶが、子供の頭頂にあるので、傘状の何かと推測する方が平仄が合う。傘状の何か、とすればトリケラトプスの襟飾りが連想されるのである。牛頭天王の章でも述べたが、天皇家はオルニソスケリダの系統なので、「有角の者」はトリケラ龍族の遺伝子を受け継いでいる可能性が高いのだ。トリケラトプスの襟飾りを見てほしい。蓮華にとても似ているではないか?信じられないと思うかもしれないが、シェイプシフターという爬虫類人種特有の能力を考慮すれば、人間に溶け込むのはわけない。あたかも、カメレオンのようにである。


この「シェイプシフト」をブッダたちの中に見てみるに、良源の言い伝えの他に、周梨槃特が修行により「形態の解脱」に達したと言われている。仏教用語で「ルーパ(色)の解脱」と呼ばれているが、周梨槃特は阿羅漢果を得て、神通力を得て形体を化かすなど種々示現できるようになったといわれる。が、ここでは良源のケースを見てみたい。


良源は美僧だったという言い伝えがあり、これもまた、天皇のご落胤としての暗喩なのかもしれない。なので、宮中の多くの女官にたいそうつきまとわれたと言われる。ある時、良源は宮中で変化の術を披露すると言って、女官を集めた。首楞厳三昧に入って角のある巨大な鬼の姿になったという。女官たちは恐れをなし、以後は良源をつきまとわなくなったと言う。


首楞厳三昧とは、色欲を滅する三昧のことである。首楞厳経の陀羅尼にある阿難尊者の説話から来ている。阿難は釈尊の十大弟子のひとりだが、美男子で有名だった。マタンギ族の娘に惚れられた阿難が妖術師である娘の母親に呪われ、あやうく虜になるところを、釈尊が仏頂から大光明を放ち、阿難を助けたという。首楞厳陀羅尼は白傘蓋仏頂の真言と言われており、「白い傘」を広げ、衆生を悪魔や災難から守ってくれるという。仏頂は仏の頭のてっぺんにある肉の盛り上がりである。肉髻とも言うが、なんと首楞厳経においては「白い傘」のようになるというのである。


先の「乳野物語」における日吉丸の天蓋は、白傘蓋仏頂のことである。「白い傘」、まるでトリケラトプスの襟飾りのようではないか?ところで、色欲を滅する三昧というが、良源が爬虫類人種ならば、そもそも哺乳類のメスに欲情するわけもない、とも思えるのだが、どうだろうか?思うに、仏教の戒律における禁欲は、哺乳類ホモ・サピエンスとしての人間型ゲシュタルトをこそげ落とすためにあるのではなかろうか。こそげ落としたところに爬虫類人種の性質が浮き彫りにされるのだ。そもそも佛とは、「人間ではないもの」という意味があるのだから。「佛」という字は「人」+「弗」の形成文字である。この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であり、否定を意味する。右側の「人」を左側の「弗」が否定すると・・「人間ではないもの」となるのだ。

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