"Equinox"について


卍 寿萬寺 卍

         

管理人:HEBI ©Equinox


無量寿星メトシェラ

HD 140283」別名メトシェラ星という星がある。地球から約200光年の距離にあるてんびん座のHD140283という星は、推定年齢が160億年とされ、NASAの科学者たちによる計算修正の後も150億年から140億年ほどの年齢とされた。もっともこの計算はNASAが因果関係を通すため酸素の量の見積りを増やすなどかなり強引な計算をしており、様々な批判を浴びた。しかし、どう計算しても数億年の誤差でメトシェラ星のほうが古いのだ。

この星は聖書の中に出てくる最高齢の人物の名前であるメトシェラをとってメトシェラ星とも呼ばれているが、ビッグバンによる宇宙誕生が138億年前なので、それよりも20億年古いとされた宇宙最古の星がメトシェラ星である。ビッグバンより古い星など、物理的に存在しないはずであるため、現代の科学者は皆、首を傾げたわけである。


1劫は432千万年なので、メトシェラ星の寿命の160億年は約4劫弱というところであろうか私は長年、阿弥陀仏が十劫昔に悟った、つまり432億年前に悟ったことは科学的に、物理学的におかしいのではないか?と思っていたが、「宇宙そのものより古いものはある」と証明されたのである。


てんびん座には他にもHE1523-0901という推定年齢132億年の赤色巨星が存在しており、てんびん座の方角には何かがある、この宇宙の起源のようなものが、と私が思うには十分であった。


そこで、お馴染みの天文ソフトステラリウムで、紀元前544年のウェーサーカ月、つまり太陽暦321日から2か月目の満月の夜半、つまり釈尊が入滅されたクシナガラ(26.45 N, 83.24 E)の西の空を見てみたのである。満月の夜は521日の夜であった。画像を見てほしい、深夜2時ごろ、てんびん座が木星を伴って西の空に見える。


極楽浄土は西方に十万億土を過ぎたところにあるというが、西方とはてんびん座の方角ではないか?


ステラリウムでは20時ごろに双子座が西方に沈み、真夜中の2時ごろにてんびん座が沈む。釈迦讃には「尸那城の跋提河 娑羅林双樹の下に在して 頭北面西右脇臥 二月十五夜の半に滅す」とある。夜半は、中夜ということなので、22時から2時までの時間であろうか?0時から2時まではてんびん座が西の空にかかる。18時の宵いには双子座が西天にかかるので、おそらくは観音勢至が双子座に該当する。脇侍が先に静々と降りてきて、その後にご本尊の阿弥陀仏が来る。最古の無量寿の星が来迎する。


というのも、親鸞の妻である恵信尼の覚醒夢にそのことが記されているからである。恵信尼消息にはその夢告がリアリティをもって記されている。


さて、常陸(茨城県)の下妻に幸井郷というところ

があり、そこにおりましたとき、次のような夢を見ました。 それは、お堂の落慶供養のようでした。お堂は東向きに建てられていましたが、

宵祭りらしく、お堂の前には松明(たいまつ)が明るく周囲を照らしていました。その松明の西、お堂の前に鳥井のような横木を渡したものに、仏さまのお御影像をお 掛けしてあります。一体は普通の仏さまのお顔ではなくて、ただ光り輝くばかりで、 それは仏さまの頭から発する光のようでした。そのため、本当のお姿は見えないで、ただお光だけしか目に入りませんでした。今一体の御影は、確かに仏さまのお顔をしておられたので、「これは何という仏さまでございますか」とお尋ねします と、お答えくださったお方はどなたか分かりませんでしたが、「あの光ばかりしか 見えない御影は、あれは法然聖人でございます。勢至菩薩さまですよ」と申され ました。

「それでは、もう一体の御影は」とお尋ねしますと、「あれは観音菩薩さまでご ざいます。あれこそ善信(親鸞)の御房ですよ」というのを聞いたと思ったとき目 が覚めて、これは夢であったと分かりました。


この恵信尼消息の、宵祭りにおいて、仏尊の一体は光り輝き、もう一体はやや暗く輪郭の捉えられるという表記が、どうも双子座のポルックスとカストルを暗示しているようでならない。ポルックスは明るく、カストルはやや暗い。脇侍の星たちが、観音勢至が、先に来ているのである。知恩院の阿弥陀二十五菩薩来迎図と同じ構成だ。


双子座の後にてんびん座が来る。宇宙より古いメトシェラ星を含む星座が。無量寿仏が来迎する。

0 コメント

前回の否定

と、前ページで空性を非と書いたが、一仮説であるとお断りしておく。所詮、頭の中でこねくり回してもたんなる施設、プラパンチャ、戯論なのだ。


おそらく、空や、龍樹の八不は、ある種の禅定、瞑想の深みに達して、その立場から言っているのだ。あくまで、推測、比量にすぎないが、内にも外にも、どこを探しても自己の無い、そのような特殊な状態において〈欠如した〉という意味の空が了解される。


ラトナキールティの説、類型からのアポーハ等も、その状態の真っ只中にあるものが、「あ、個々のものが識別できないや」という困った状態から出てきたものだろう。


前回の説を見返した私の心境としては、凝ったロボットを作ってうまく作動するが、何か違うな…決定打に欠ける、といった心境。

0 コメント

1#∞

1≠0

有を空じたところ無となる

--

無を空じたところ有となる

(≠)


一般的に空は仏教の根本的な原理として、全ての究極的な相とされる。三諦円融の教理では観念無をも空じた絶対無となる。しかし、それは格義仏教であり老荘の影響により空=無とされたが、本来は空は否定であり、「非」という意味である。つまりは、ディグナーガの言うアポーハ(排除)である。


無限は数学的には無量大数ということであり、仏教では無量数ということ。無量者(無限者)から空じられた、つまり無量からアポーハされた我々、有限の群は有限である種々の存在形態を彷徨う。それを輪廻という。彷徨う者は何か?それは無量者(無限者)自身に他ならない。それは有限者がその性質として無限から空じられた、何らかの存在として自身を限定する空をさらに空じること、非-非無限のプロセスを経て悟ることができる。彼自身が無限者の一限定形態であることに気づき、その無限者の否定である有限(有情)を解脱して無量者であることに目覚めること、それは全ての有限の有情に備わった性質(仏性)である。


諸法は無限を空じて現れる、非無限として。空は否定の原理であり、非を冠詞のように置いて、無限性の欠如を表す。


無限はそれぞれにとって

Aにとっては非Aとなる

牛にとっては非牛となる

自にとっては非自()となる


「牛が非牛からアポーハされたものであり本質的に非存在である」というディグナーガの論説に、ミーマンサー学派のクマーリラは反発し非牛のアポーハには一周回って牛が必要であり、さらに言えばアポーハを使うより、直接、普遍の牛性を使うべきと論じている。


また、クマーリラは人の共通牛認識(認識内形象)の牛性という提案もしており、ダルマキールティはその案に乗っかって認識内形象説を発表している。しかし、認識内形象を煙とすれば、火としての知覚外存在が在ることになるだろう。そこを格義仏教的な勘違いで火は非存在とはいささか強引すぎる。


おそらく、そういうことではないのだ。


ディグナーガは牛が無量(無限)から排除された1つの牛として表現しているのであり、非牛クラスタから排除された普遍牛の非存在や、認識内形象としての牛を言いたいわけではない。非限定の無量者を否定して限定された有情の牛が生じる。この否定が空であり、牛であるために無限性が欠如するということだ。


非限定である無量者は全てであり、全てでない、どれでもあるがどれでもない、のでであると同時に全ての存在にとって0である。この∞=0から否定()の働きがあり、つまり0を否定して1が生じる。0=∞の欠如が1であるが、これでは、1にとって0=∞は永遠の彼岸にある。これでは、無量者はそれ自身に限定されて降りてこない。無量者を意識することがないために、我々、有限な有情は永遠に輪廻を彷徨い、交わることのない彼岸から無量者が悲しげに見ている、これがヘーゲルの言う悪無限である。


この無量者は、有情の「他」として、有情と相対的なものであり、両者は交互にアポーハされている。その限りにおいては、この無限者「阿弥陀仏」はそれ自身に限定された無限者であり、有情からは区分けされた永遠の彼岸にある。


この垣根は、無限者じしんが彼の規定である制限(有限の有情でないこと)を否定することによって、彼自身の被限定性を取り去られる。


それは即ち、アポーハの否定としての方便法身である。無量者が自己を超越し、自己を否定して(空じて)、有限的となるということは、無量者そのものの本性だからである。(大悲大慈)


阿弥陀仏が迎えに来る。無量の光が有限者に降りてくる。


彼じしんに限定された有限的無限者と、摂取される有情(有限者)の双方の限定が否定せられて、法蔵比丘が登場する。南無阿弥陀仏。

1 コメント

仏教徒の闘争の是非

 浄土真宗の歴史は一向一揆の歴史と言っても過言ではない。仏教徒の武装は、比叡山の僧兵から始まったが、正面きって信長などの大名と戦争までしたのは本願寺門徒だけであろう。そこには、蓮如上人の御文による、通信革命あり、また、兵器の技術革新もあった。本願寺側の戦力、雑賀衆のような鉄砲傭兵の活躍はそれに因る。火縄銃も日本の戦国時代において魔改造され、ヨーロッパ人もびっくりなものになっていたらしい。戦国時代末期には日本は50万丁以上を所持していたともいわれ、当時世界最大の銃保有国であった。


 伝来後に日本において引き金にバネを用いる改造がおこなわれ、それまでにはなかった瞬発式火縄銃となり命中率が向上した。すなわち、火縄の火力を瞬時に火薬に点火させるため、引き金に連動する毛抜き式弾梯の点火装置をともない、火挟みのなかの火縄を、引き金とともに瞬時にバネの力で火薬に叩きつけ点火する仕組みである。それに対し、当時のヨーロッパ製の銃は引き金が火挟みに連結する緩発式火縄銃である。ヨーロッパで瞬発式が採用されるのは17世紀にフリントロック式発火装置が考案されて以降のことである。銃身においても、日本の筒部は錬鉄を鍛造したものをベースとしており、瞬発力においても火薬の爆発力においてもヨーロッパ製のものより高性能のものが用いられていた。


 こうした兵器の革新や、そもそも武装闘争そのものの是認がなくては、一向一揆は成功しなかっただろう。百年も続く百姓の持ちたる国、仏教共和国は武装闘争により成り立ったのである。


大般涅槃経巻三金剛身品第二によれば


「善男子・正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せずして応に刀剣・弓箭・鉾槊を持つべし」


「五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く正法を護る者は応に刀剣・器杖を執持すべし」


「弓箭・刀杖を帯して悪法の比丘を治し正法の比丘を守護せん者は、先世の四重五逆を滅して必ず無上道を証せんと定め給う。」


とある。涅槃経は武装闘争は前世の五逆の大罪すら滅すると言っている。滅罪としての武装闘争は明らかに是なのである。つまり、修行する比丘、比丘尼、檀信徒、門徒、仏教者、正法を守るためには武装して守護すべし、それは滅罪となる、と涅槃経は言っている。


 しかし、仏教徒が悪い国に武器を持って立ち上がるにしろ、例えばその国に住む他の動植物や悪権力には関係ない人には配慮が必要だと思う。例えば、爆弾や放火などは、仏教弾圧に関しては全く罪のない衆生が巻き添えを食うのでダメだろう。とくに焼夷弾や原爆は土中の微生物まで死ぬので、仏教徒の闘争の手段としては最悪だろう。一殺多生は何も人間の範疇に留まったことではない。こうしたペンペン草も残らないような聖絶、つまりジェノサイドは、一神教や共産主義などユダヤ系の思想から出たものがやることである。

0 コメント

百姓の持ちたる国

 3/20は春分の日、エクイノクスにとっては名前に因む特別な日でした。この日に一向一揆の話しをするとは、奇妙な感覚がします。 


 加賀一向一揆1488年から1580年にかけて起こった、加賀の本門寺門徒らによる一揆。封建社会において、信仰に支えられた被搾取階級が武装闘争を起こし、百年にも及ぶ共和制の仏教独立国を維持した、稀有な例と言えよう。


この闘争の指導者は、ご存知、蓮如上人である。


 蓮如は1474年から1475年までの間、吉崎御坊(福井県)に滞在した。蓮如は親鸞以来の血脈相承を根拠として、北陸の浄土系諸門を次々と統合していった。その後、富樫政親の要請を受けて守護家の内紛に介入し、翌年には富樫幸千代を倒した。蓮如はこれによって守護の保護を受ける目論見だったが、政親は本願寺門徒の勢いに不安を感じて逆に門徒の弾圧を開始、裏切られた蓮如は吉崎御坊を退去し、加賀の門徒は政親に追われて越中に逃れた。越中では政親と結託した石黒光義が政親と結んで門徒弾圧に出たところ、1481年に越中で一揆が発生し、光義が討ち取られる(越中一向一揆)。また、政親は9代将軍足利義尚による六角征伐に従軍したが、それに伴う戦費の拡大により、国人層が反発して越中から帰還した門徒とともに決起する。1488(長享2)には、代わりに富樫泰高を守護に擁立して、高尾城の政親を攻め滅ぼした(長享の一揆)。


 1546年には尾山御坊(現在の金沢城)が建設され、それを拠点として北陸全体に一向一揆を拡大させた。1550年代から朝倉氏と、1570年代には上杉謙信と、その後は織田信長と対立した。そして、長島一向一揆や越前一向一揆を経て、戦いは石山合戦へとなだれこむ。1580(天正8)に信長と顕如が和睦、石山本願寺が引き渡し直後に謎の出火による炎上、その後、尾山御坊も陥落した。加賀一向一揆は解体された。


仏教をベースとした共和制は、世界的に見ても珍しい。


 富樫家の権力のタワーを揺るがし、倒したのは、農民や階級の低い武士の分散ネットワークだった。ネットワークをファーガソンはスクエア(広場)と呼んだ。タワー(権力)を倒すのは、スクエア(平等)である。ネットワークは通信手段の発達により広まる。テクノロジーの発達は横軸のネットワークの発達を促す。蓮如上人の手紙(御文)を用いた伝道は、強力なネットワークを作り出すことに成功した。奇しくも、「仏の前に万人は平等」という思想のもとに農民主体の一向一揆が起こった16世紀ごろ、ヨーロッパでも似たような革命が皇帝やローマ教皇の権力を揺るがしていた。ルターの宗教改革である。


 ヨーロッパでは、その頃、活版印刷が発明された。。活版印刷は15世紀半ばまでにドイツ人の印刷業者であるヨハネス・グーテンベルクにより完成され、1455年には初の印刷されたラテン語の新約・旧約聖書『グーテンベルク聖書』が生まれている。蓮如上人の御文にあたるものが「ルターの聖書」である。ルターのドイツ語訳により、ラテン語の聖書は民衆も読めるものとなった。そして、印刷により普及させた。さらに、当時の教会の体制を批判した記事や風刺画を印刷して配った。ルターの思想は横軸で広まり、ネットワークを形成した。その結果、ルターの改革は大きな運動となっていった。ルターの思想は「神の前に万人は平等」であった。


「すべて破戒も持戒も、貧窮も福人も、上下の人を嫌わず、ただ我が名号をだに念ぜば、来迎せんと御約束そうろうなり」〈往生浄土用心〉


 

0 コメント